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編集後記
岡崎さんの取材をしながら、コンディションを試合にぴったりあわせる難しさを改めて実感しました。ごらんいただいた報道ステーションの放送をした2009年11月の段階では、絶好調だった岡崎さんですが、12月のカルガリーワールドカップの直前に39度の熱を出したところから全てが狂い始めてきたようです。
「何だか 作り上げてきた筋の細胞が、熱で溶けて ふにゃふにゃになってしまうような感じ・・・・とほほですよ」と、泣くに泣けない表情で話してくれたのが印象的でした。
バンクーバーのオリンピックオーバルに入ってからも、懸命に調整を続けていましたが、一度バランスを崩してしまった身体は思うにまかせなかったようです。
加えて今シーズンに入ってからいろいろ試してきたスケート靴のブレード(刃)も、しっくりと来るものに出会えず、これも不運といわざるを得ませんでした。
多くのスケーターを見てきたメーカーの担当者が「本当に岡崎さんほどスケートの刃(ブレード)に恵まれていない人はいないですね。かわいそうになってしまいますよ」と嘆いていたほどです。
100本の刃があっても自分に合うものはたった1本といわれています。ましてや海外のメーカーのものになると、日本選手は後回しになって、残り物が3ヶ月遅れで届くといった状況です。
前回のトリノ五輪では、レース1週間前に長田監督が刃の曲がり具合を調整したのがばっちりあって、わずか0.05秒差で銅メダルを逃すというところまで行ったのですが、なかなか同じようには行きませんでした。
バンクーバーのあと、休養宣言、子作り宣言??をした岡崎さんですが、次のソチ五輪の時にはママさん選手として再び氷上に戻ってきてくれることをひそかに期待している宮嶋でした。 |