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7月13日 プレイバック・報道ステーション企画その3
『岡崎朋美企画』


夫の応援を得て、結婚後、岡崎さんの成績は上昇気流にのり始めます。
2009年3月、ソルトレークで行われたシーズン最後のワールドカップ。
岡崎さんは4年ぶりに自己ベストをマークしていました。 
フィニッシュタイムは37秒66!
なんと、37歳での自己ベスト更新。それは世界の強豪スケーターたちも祝福する快挙でした。




岡崎:「ちゃんとしっかりスケーティングが出来れば、まだまだ伸びるということで自信にもなったので、良かったです。」

自己ベストに喜びながらも、本人は冷静にレースを分析していました。

岡崎:「最後のカーブでちょとね、しっかり低く脚を使っていきたかった。」

初めて体験するスピード。そのスピードに負けて体が振られてしまったことをしっかり自覚し、それをオリンピックまでの修正課題としたのです。

「若いとき出来なかったスケーティングが、今歳をとってだんだんわかってくるスケーティングがあるんで、それを直していくと自己ベスト更新更新更新ですね。」



課題となったコーナリングの技術を自分のものするためには、より強い下半身の筋力が必要です。

「この階段、本当に作った人を尊敬しちゃいますよ。よくつくりましたよね、こんなまっすぐな階段。ここを駆け上がるのも、20年間ずっとやっているんで・・・」

18歳のときから、20年間、この石段が岡崎さんの脚をつくってきました。



 


自ら「限界」を作らず、常にタイムを縮めようと挑戦し続けてきました。

片足ずつ4キロ、ジャケット5キロ、

岡崎:「ちょっと心が折れそうな感じ。」笑い
手にも錘を巻いて、トータル16キロの負荷を背負います。


 

 


脚力が着実に付いている証拠に、階段を駆け上るタイムが、以前よりも速くなっています。
さらには、体が感じる苦しさも以前ほどではなくなっているといいます。

岡崎さんの様子をずっと観察してきたのが、整形外科の高尾医師です。
9年前に、岡崎さんのヘルニアの手術を執刀したドクターでもあります。




高尾医師:「われわれ医師の立場からは、その極限というのにすごく興味があるし、どこまで強くなれるのかというのが謎ではありますで、それを彼女がやってくれている。」

宮嶋:「38歳の身体はどうですか?」
高尾:「完璧ですよ(笑い)ね」
岡崎:「なんか、昔よりも上手に体を使えるようになってきた感じがするんですよね。」



9月、日本で二つめのスピードスケート専用のインドアリンクが北海道の帯広にオープンしたことで、例年よりも、1ヶ月早く氷に乗りはじめました。


   

   


3月につかみかけたコーナーリングの感覚、遠心力に負けないように、
より低い姿勢ですべる感覚を体に覚えこませていきます。

低く、低く・・・その結果、思わぬ変化が現れてきました。
お尻の形と大きさが変わってきたのです。

「ここがへこんでこっちにつくみたいな。びっくりしちゃった。低くすることを意識するとどうしてもここでがんばるんですよね。」「3センチアップしました。」




改造した肉体で挑む今シーズン最初の試合は10月23日に長野で行われた全日本距離別選手権。

女子500mのレース。
シーズンはじめは、いつもよくない岡崎さんですが、今年は違いました。
なんと100m通過が10秒49、例年より、0.3速いタイム。

課題の最後のカーブでは、まだ低くなりきれなかったものの、氷を確実に捉えます。
ゴールは38秒69。

シーズン最初のタイムとしてはこれまでで最もよい記録をマークしました。



500mの優勝は伸び盛り23歳の小平菜緒選手。
そして、小平さんより15歳年上の岡崎さんが2位に入りました。

宮嶋:「この種目、小平さんが初優勝しましたね。」
岡崎:「まあ、私も負けちゃいられないんですけれど、(笑い)」




20年前、18歳で北海道から山梨にやってきた少女は、スピードスケートというスポーツを通じてさまざまな経験をしてきました。
リレハンメル、長野、ソルトレイク、トリノと、4つの大会を経て、いま5度目のオリンピックをめざします。

岡崎:「歳をとってきていろんなノウハウがいっぱい入ってくるので、いろんなことが出来るので、今楽しいですよ。」

どんなときにもプラス思考で、自然体。
自分で限界を作らず、常にチャレンジして行く38歳。


 

 


岡崎:「指の先から足の先まで、たぶん眠っている神経はまだたくさんあると思うんですけれど、なるべくそれを全部使いたいんです。」

バンクーバーオリンピックへのイメージは完璧です。






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編集後記

岡崎さんの取材をしながら、コンディションを試合にぴったりあわせる難しさを改めて実感しました。ごらんいただいた報道ステーションの放送をした2009年11月の段階では、絶好調だった岡崎さんですが、12月のカルガリーワールドカップの直前に39度の熱を出したところから全てが狂い始めてきたようです。

「何だか 作り上げてきた筋の細胞が、熱で溶けて ふにゃふにゃになってしまうような感じ・・・・とほほですよ」と、泣くに泣けない表情で話してくれたのが印象的でした。

バンクーバーのオリンピックオーバルに入ってからも、懸命に調整を続けていましたが、一度バランスを崩してしまった身体は思うにまかせなかったようです。

加えて今シーズンに入ってからいろいろ試してきたスケート靴のブレード(刃)も、しっくりと来るものに出会えず、これも不運といわざるを得ませんでした。

多くのスケーターを見てきたメーカーの担当者が「本当に岡崎さんほどスケートの刃(ブレード)に恵まれていない人はいないですね。かわいそうになってしまいますよ」と嘆いていたほどです。

100本の刃があっても自分に合うものはたった1本といわれています。ましてや海外のメーカーのものになると、日本選手は後回しになって、残り物が3ヶ月遅れで届くといった状況です。

前回のトリノ五輪では、レース1週間前に長田監督が刃の曲がり具合を調整したのがばっちりあって、わずか0.05秒差で銅メダルを逃すというところまで行ったのですが、なかなか同じようには行きませんでした。

バンクーバーのあと、休養宣言、子作り宣言??をした岡崎さんですが、次のソチ五輪の時にはママさん選手として再び氷上に戻ってきてくれることをひそかに期待している宮嶋でした。


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