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2月28日 岡崎朋美・33歳の復活「スケートに恋して」


あと一年でトリノ五輪ですが、今シーズンの岡崎朋美選手は絶好調ですね。
33歳、富士急行に入社してから15年が経ちました。スケート界では最年長選手ですが、若手の追随を許さぬ真摯さで練習に取り組む姿勢には変わりがありません。いったいどこにそのパワーが隠されているのでしょうか。
2月17日に報道ステーションで放送したものの概略をここでお伝えしましょう。

岡崎朋美選手 33歳

岡崎朋美:「今もう変な意味、スケートがいとおしくてたまらないんですよ。」

W杯カルガリー大会 33歳で500m日本新記録をマーク

今年1月、カルガリーで、500m日本新記録をマークしてワールドカップ優勝を手にした岡崎朋美選手。腰の手術から5年、33歳にして再びあの強い岡崎が戻ってきました。

宮嶋泰子

「ベテランという言葉はスポーツ選手にとって良い意味ばかりではありません。
今シーズンの岡崎選手は絶好調。その秘密はどこにあるんでしょうか。」


スケートに恋をして

長野五輪銅メダル獲得

今から7年前、岡崎朋美選手は26歳で、長野五輪500m銅メダルを獲得。
しかし、その後は波乱万丈のスケート人生でした。

 

28歳、絶好調で日本新記録をマークしたその直後、腰に激痛が走り、2000年4月に椎間板ヘルニアの緊急手術を受けたのです。

 

 

マイナスからの再出発。
国内でも3番手4番手を余儀なくされ、ワールドカップ代表落ちまで経験。
30歳でぎりぎり代表に滑り込んだソルトレークシティーオリンピックでは、本番に強いところを見せ6位入賞を果たしたものの、その後は若手の台頭に押され気味の日々が続いていました。

 

ところが今シーズンに入って、がぜん調子がうわむきになってきたのです。
11月の浅間選抜でこの大会10年ぶりに優勝すると、続くワールドカップ長野大会でも、4レース中3レースで表彰台にあがりました。

 

 

‘04 12月4日、5日 W杯長野大会  500m2位 500m3位 1000m3位

「本当久しぶりだったんで、もうちょっとで高いところだったんですけれど。」「自分の滑りに対してのヒントみたいのが見つかったので。」

今シーズンは、手術以来はじめて腰の痛みがなくなったことで、夏場のトレーニングを100%こなすことが出来ました。
長野オリンピックの時の、あの太腿の筋力が戻ってきたのです。

 

「一回のキックの伝達の感覚ですね、それは長野の頃にもどってきたので。今までは押したいのに押せていないというのがあって。」

さらに、自分の思い通りに動いてくれるスケート靴と初めて出会うことができました。

岡崎:「前の靴は半信半疑で履いていたので、これは何も考えなくても乗れるので、」
宮嶋:「信じられる靴?」
岡崎:「そうですね、良かったです。」

なんと靴を見せてもらったら、その靴の中にカイロが!

岡崎:「ははは・・はだしで靴を履くので、私の必需品です。かわいいでしょう。どうですか?」

 

長野県野辺山で練習する岡崎選手をたずねました。
長野オリンピックの頃の脚力が戻り、さらにそれを生かすスケート靴を手に入れたことで、長い間課題だった、押してすべるスケーティングへのフォーム改造に拍車がかかっていました。

体を低くして、お尻の筋肉できちんと押して滑る理想のフォームができるようになってきたのです。長田監督の声が飛びます。
「沈む、沈む!」

 

なんと驚いたことに、このフォーム改造の時に着ていたのは、普通レース本番でしか着ない特殊な生地で作られたウェアーでした。

岡崎:「前から試作品をもらった時からきつくて、養成ギプスみたいな感覚はあったので。」

宮嶋:「伸びるのはここひざの裏だけで、あとはぱつんぱつんで伸びないのね。」

岡崎:「お尻の筋肉で押すポイントがこのギプス、ははは・・(笑い)このワンピで自分のスケーティングが矯正されていると思うんですね。」

他の選手たちがきついといって練習では着ることがなかったウェアをフォーム改造に利用してしまったのです。さすがベテランならではのひらめきです。

 

岡崎:「若い頃は本当に勢いがありまして、ただがむしゃらに練習をして、それがちゃんと身になって、振り返った時に、その時はよかったんですが、何をして良かったのかがよくわからないんですよね。」

今は、何をすればよいのかがわかってきたといいます。

岡崎:「いろんなものが見えてくるんですよね、長くやっていると。これはどうしてこうなんだとか、これを使えばいいじゃないかとか。今、もう変な意味、スケートが愛しくてたまらない。と変わってきましたね。ちょっと危ないですけれど、危ない領域に入ってきましたけれど。」

久々に強い岡崎が戻ってきて、年末の12月28日から茅野で行われた全日本スプリント選手権はがぜん注目度があがりました。

33歳の岡崎と、伸び盛り20歳の吉井小百合の対決です。

20歳の吉井小百合

ベテラン岡崎が500mを制すれば、ヤングパワーの吉井は得意の1000mでトップを奪います。
一日目は、過去例を見ない僅差、100分の1秒差で、岡崎がリードします。

 

 

 

岡崎 500m 1位  吉井 1000m 1位  一日目、Total100分の1秒差で岡崎リード

宮嶋:「笑顔続きだね。」
岡崎:「笑顔ばっかりですね。しわが増えるっ。(笑顔)」

大会2日目の朝、誰もきていないリンクで一人、フォームのチェックをする岡崎選手の姿がありました。

500mと1000m、それぞれ二本ずつ滑って、その合計ポイントで競う、
全日本スプリント総合優勝の行方は、最後の1000mにかかります。
インコース、吉井小百合。アウトコース岡崎朋美。
33歳の岡崎と、20歳の吉井の一騎打ち
13歳、一回り以上 歳の離れたライバルです。
この1000mに苦手意識をもつ岡崎も果敢に攻めていきます。

 

最後は1000mを得意にする吉井のがむしゃらさが、ベテランの岡崎を突き放します。
吉井、逆転でこの大会初めての総合優勝を決めました。

 

岡崎選手も、総合成績で2位になったのは5年ぶりのこと。腰の手術をして以来最高の成績でした。
何よりうれしかったのは、得意とする、500mで2本とも一位となったことでした。
500mのスペシャリスト復活を強く印象付けるレースでした。

岡崎:「500に関してはすごい自信になりましたね。」
宮嶋:「まだまだ伸びると言う感触はありますか?」
岡崎:「ありますね、まだまだ伸びると思いますんで・・」

 

チームに帰れば、お姉さん。
実業団に入社して15年、スケート界では歴代最年長選手になってしまいました。一年目の石野枝里子選手に聞いてみました。

宮嶋:「後14年、15年続けられる?」
石野:「無理です」
岡崎:「やるのよ!それが義務なんだから」

 

ベテランになってからは身体のケアーも念入りに行うようになりました。
この5年間、ずっとマッサージを担当してくれていたのは内藤純子トレーナーです。

宮嶋:「5年前の身体と比べてどうでしょう。」
内藤:「今のほうがいいとおもいますけれど。頑張っているなと言う感じします。からだ触っていて」
岡崎:「頑張っていますよ。私は一応。」
内藤:「頑張らないと維持できないですよ。スケートでいい動きが出来ているから、身体に負担が来ないのかなという感じですね。」

年が明けた1月16日、カナダ・カルガリーで行われたワールドカップ。
記録が出ることで知られる高速リンクでのレースです。

同走は20歳の吉井小百合。
岡崎選手は、100mを10秒21の自己最速で通過、
最後のカーブを未知のスピード感覚で切り抜け、
その勢いのままゴールに飛び込みます。
タイムは37秒73。
なんと日本新記録をマークして、5年ぶりのワールドカップ優勝。
腰の手術をして以来はじめての国際大会優勝を手にしたのです。

岡崎:「感動って言うよりも、ああ、やっとここできまってきたかな・・、手術をしてからここまで長かったですからね、よし、これから更なる上を狙うぞ」

どん底から這い上がってきたベテランは、スケートの極意を極めるべく更なる進化を続けます。来シーズン、4度目のオリンピッを34歳で迎えます。

カメラ:綱川健史
VE:田中健二
編集:松本良雄
MA:濱田豊
選曲:伊藤大輔
ディレクター:宮嶋泰子


取材後記

「若い時にはただがむしゃらにやっていて、何で結果がよかったのかがわからなかったけれど、今はなぜ良いのか悪いのかがわかってきた」という岡崎選手の言葉には私自身もうなずくところがありました。同じ仕事を長く続けていくと、だんだん自分を冷静に見るもう一人の自分が出来てくるような気がします。
さらに、これまでの経験から自分が今どのような状況にいるのかもわかってくるのでしょう。
ベテランにとっては、失ってしまった若さをいかに経験で補うかがポイントになってきます。仕事であれば、「ベテランの味」としてまた違う評価もありますが、スポーツの場合は若者もベテランも、タイムという数字でしか評価されません。ベテランと一口に言ってしまえば同じではありますが、スポーツ界で闘っている岡崎さんには、我々の仕事とは比べ物にならない過酷さがあると思います。

 

宮嶋泰子
   
 
    
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