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11月11日 運動嫌いが変わる?タグラグビー

 
岡崎朋美32歳、田畑真紀29歳それぞれの選択
1月13日ニュースステーションで放送

去年5月に、スピードスケートの中長距離の第一人者田畑真紀選手が、突然、10年間所属していた富士急を退社し独立して練習をすると発表しました。
一体そこに何があったのでしょうか。
海外遠征で外国勢のトレーニングを見ながら田畑選手が考えたこととは一体どんなことだったのでしょうか。そして日本独自の企業スポーツとは一体どんなものなのでしょうか。
これを機会に、さまざまなことを考えてみたいと思います。

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この数年間、厳しい日本経済の中でスピードスケートを取り巻く環境は一変しました。
これまで多くのオリンピック選手を輩出してきた名門企業がスケート部を廃部。
選手たちのなかには自力で小さなスポンサーをいくつも見つけてきたり、自分の貯金を削りながら競技を続けるなど、厳しい状況に追い込まれる者も少なくありません。

宮嶋:「スケート選手が置かれている環境が少しずつ変わり始めています。そんな中、岡崎朋美選手の周りでもある変化がありました。」

それぞれの選択 岡崎朋美32歳・田畑真紀29歳

岡崎朋美 32歳 田畑真紀 29歳

山梨県、富士吉田市にある富士急行のスケート部は、豊かな自然環境の中に、自前のスケートリンクやトレーニング施設を持ち、今の時代、最も恵まれた企業スポーツの一つです。

橋本聖子選手を初めとし、過去10人の選手をオリンピックに送り出し、短距離の岡崎朋美選手と、中長距離の田畑真紀選手が二枚看板でチームを引っ張っていました。

ところが今から半年前、予想もしなかった出来事が起こりました。
10年間富士急に所属していた田畑選手が退社して、一人でトレーニングを始めると発表したのです。

岡崎選手:「初めはちょっと突然だったので、すごくビックリしましたし、でもよくよく考えれば、ああ、ありえるなと。うん、そういう新しいものに追求していきたいと言う性格だとおもうんで。」

田畑選手:「海外の選手とかを見ていて、精神的に強くなるのは、もっと一人にならなきゃ、自分を出して行かなきゃいけない」

メダルを期待されたソルトレークシティオリンピックでは3000m6位が最高。自分の精神的な弱さを痛感したと言います。

チームキャプテン岡崎選手 独立した田畑真紀選手

田畑選手:「世界を見て、ドイツで強い選手とかは、その選手のためのチームがあるというのを見ていたので、最高の舞台で最高の結果を出すためにはそのための準備が必要かなと見ていて思っていました。」

自分だけのトレーニングや、自分だけのコーチの必要性を痛感し、田畑選手は富士急をすでに退社していた羽田雅樹氏に専属コーチになって欲しいと頼み込みました。
羽田さんはソルトレーク五輪までは田畑選手の担当コーチでしたが、五輪後、人事異動でゴルフ場の副支配人になっていましたが、どうしてもスケートに携わる仕事がしたいと退社していたのです。

  羽田さんはソルトレーク五輪の田畑担当コーチ

それにしても先立つものはお金です。

宮嶋:「どこかスポンサーは決まっているんですか?」
羽田:「いえ、ないです。5月で退社したときにはいろいろなところを回って、田畑のプロフィールや今までの記録を持って何社かあるって、お願いをしているところはあるんですが、厳しいなと言うのはありますね。」

富士急長田監督によれば、スケートにはかなりお金がかかるとのこと。

長田監督:「用具から始まって、遠征、合宿、これは大変ですよ。500じゃ足りない、700ぐらい必要かもしれないね、満足いくんであればね。」
羽田コーチはどうやって工面しているのでしょうか。

宮嶋:「その費用はどうされるんですか」
羽田:「今は持ち出しです・・・・・。私がほとんど払って。」

羽田雅樹コーチ 長田照正富士急監督

金銭的不安に加え、一人でのトレーニングもまた、未知のものでした。
黙々と練習をする田畑さんにきいてみました。

宮嶋:「富士急で皆でわいわいやりながらの時と違う?」
田畑:「ちがいますね。こんなに大変なのかと思って。自分で自分をモチベーション上げて高いイメージでトレーニングすると言うのはすごく疲れるなと。(笑い)」

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一方、富士急に残った岡崎朋美選手にも変化が現れました。

「田畑がいなくなったと言う部分で変わった気がしますね。」と長田監督は語ります。

田畑選手が抜けたぶん、チームを引っ張るのは自分しかいない。そんな思いが岡崎選手を練習へと駆り立てていきます。

岡崎:「チームの年長でずっと来てますから、どうしてもチームのことが心配で、後継ぎと言うか、後継者ができればいいなとおもっていて、なかなか妹分たちは動いてくれなくて」

リーダーとしてチームを引っ張りながら、自らもトップを目指す。それはかつて橋本聖子選手が岡崎選手に示していた姿そのものでした。

岡崎:「何も問題なく練習に没頭できる環境と言うのが一番ベストだと思うので、そういう環境にもいるので、それがすごい幸せにも感じると言うのが、まあ30歳すぎてからですね。」

そんな中でも、給与形態が年俸制に変わったことで、競技の成績が給料に響くようになり、選手たちの意識も少しずつ変わりはじめているようです。

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12月13日
北海道の苫小牧で開かれた、中長距離の日本一を決める全日本選手権。
これまで、この大会、総合5連覇している田畑選手が、独立した今年、再び優勝を手にすることができるのか、関係者の注目はその一点に集まりました。

12月13日 全日本選手権 苫小牧  

500mから5000mまでの4種目で競われるこの大会。
一歩を長くすべらせるあの独特のフォームを再び自分のものにするために、かつての記憶を手繰り寄せながら、空気をおしわけけるように進んでいきます。
3000m5000mでは若手に勝ちを譲ったものの、送られる拍手は人一倍大きなものでした。

500m 3位  3000m 3位  5000m 4位

  鵡川町から応援団も駆けつけました

田畑:「役員さんとかみんな顔見知りなんで、皆小さい声で頑張れって言ってくれて、心強いですね。」

そして、田畑選手がその真骨頂を見せたのは、1500m。
スピードとキレのあるすべりで2位以下を大きく離して1位。
結局このタイムがものをいい、総合成績では台頭するヤングパワーを押しのけて、
見事6連覇を達成したのです。

全日本選手権6連覇  

「荷物いっぱいで大移動です。」
「ソルトレークの頃の感触にもどりつつある?」
「そうだと思います。トータル的なタイムは悪いんですけれど、スケーティングに関しては上向きになってきている。」

大会を終えて田畑選手が向かった先は、両親、姉や妹が待つ実家です。

「ただいま。」
「これもらってきたの。1位だったから。」「おめでとう」「ありがとう」

これまでは会社に保管されていた優勝カップがはじめて田畑家にやってきたのです。

大きな優勝カップが田畑家へ  

「なんか変な感じですよね。いつも家族と会えるなんて。今まで会えないのが普通だったんで。」「ねえ10年間」
「癒されまくりですこの子達に。本当に大切なものは何なのかと言うのを感じながら、家族と言うものの大切さを感じながら今まで以上にできているようなきがします。」

「真紀の6連覇を祝って乾杯!」

これまの日本にはない、新しい競技生活のスタイルがそこにはありました。

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一方、富士急行のキャプテン、岡崎朋美選手は32歳でシーズンを迎えました。
2000年4月に腰の手術をして以来、今シーズン初めて痛みを感じないままトレーニングをこなせたこともあり、レースに臨む意気込みが違います。

「去年世界スプリントに出れなかった屈辱がありますので、今年はしっかりととりに行きたいと。」

その世界スプリントの代表を選考する全日本スプリントが12月24日、日光で開かれました。

上位3位にまで必ず入ること、スケート人生をかけて、岡崎選手はこの選考会に臨みます。

最初の500m 39秒63、まずまずのすべりで3位

続く1000m 
これまで苦手としていた距離ですが、この日はしっかりと氷を捉え、驚くほどストレートで伸びていきました。
後半もばてることなく一気に突き進みます。

なんと、1分19秒56で優勝をさらってしまったのです。

宮嶋:「久々の快挙?」
岡崎:「そうですね、何年ぶりかなって言う感じですね。」

腰の手術をしてからはじめてのうれしい優勝。
世界を舞台に闘うイメージが新たに湧きあがってきた優勝です。

そして、このレース田畑選手も3位入賞

違う道を選んでも、目指すゴールは同じ。
2年後のトリノを目指して、それぞれの闘いは現在進行形です。

トリノに向けて戦いは続く 岡崎選手&宮嶋

(カメラ:綱川健司、編集:松本良雄、選曲:伊藤大輔、MA:濱田豊、ディレクター:宮嶋泰子)

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番組を作り終えて:
独立して一人で練習をこなしてきた田畑選手の今シーズンの最大の目標とする大会は世界選手権でしょう。ここで上位入賞をすれば、念願のスポンサーもつくかもしれませんね。
家族の中で生き生きとしていた姿がとても印象的だっただけに、是非この形でトリノまでトレーニングができると良いなあと思います。プロゴルファーなどはこうした形でトレーニングをしながら試合に出ているわけで、きっとできないことはないと思います。
日本のスポーツの新しい形を探る意味でもがんばってほしいと思います。

   
 
    
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