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1月29日 過去・現在・未来 武田豊樹 29歳

 
2003年ニュースステーション宮嶋企画第二弾は、スポーツ選手の二足のわらじを考えるもので、「過去・現在・未来 武田豊樹29歳」です。
昨シーズン、スピードスケートワールドカップで3回の優勝を飾り、ソルトレークシティ五輪では8位だった武田豊樹選手が、競輪学校に入学。過去誰もなしえていない競輪選手でありながら、スピードスケートのオリンピック出場を目指すという難題にチャレンジする姿をお伝えします。
放送は1月30日。ここではその概要をお伝えしましょう。

ソルトレークシティーオリンピックから一年が過ぎようとしています。
この一年間、今までと全く違う生活をしてきた選手がいます。

2002年ソルトレークシティオリンピック、スピードスケート男子500メートルで8位入賞を果たした武田豊樹選手。
今、競輪学校の生徒として、自らの心と体を鍛え、誰もなしえなかった夢への挑戦を決意しています。

木々の緑が輝く5月。
伊豆修善寺、この隔離された山の中にある学校で1年間を過ごす若者たちがそろいました。
全員が坊主頭。
その中に、武田豊樹さんの姿がありました。

「住み心地はいかがですか。」
「慣れないですね」
坊主頭に手をやりながら、ちょっと照れ気味に答えてくれた武田さん。
28歳は競輪学校始まって以来最高齢の生徒です。

入学式は、全員がそろって規律正しく進行されていきます。
「起立、礼、着席」掛け声にあわせて、ぴたりと動作をそろえる新入生たち。

武田さんと子供の頃から一緒にスケートをしてきた同級生で、オリンピックではマネージャーとしてサポートしてきた高橋慶樹さんは複雑な心境でこの入学式を見つめていました。
「厳しいなあ、生活がつらい感じですね。いきなり拘束される感じで、スケートおわってまもなくですからね。」

競輪学校では、一日の大半はジャージ姿で生活します。
「同じ部屋には19歳と言う生徒もいますから、10はなれている選手と一緒にやっていくわけですけれど、歳が離れているので、今は正直トレーニングについていけるのかなと言う不安感ももっていますけれど。」

新しい生活を始める武田さんのために、高橋さんが生活必需品を運んできました。
なんとその中には束になった、テレホンカードが。

「どうしたのこれ。テレホンカード。うれしい。ここは外国にいるみたいですから、日本の世の中のことがわからないんですよ。」
ニコニコ顔の武田さん。

学校での生活は起床から就寝まで小刻みにスジュールが決められています。

<T:6:45〜7:10 点呼・体操>上半身裸になって乾布摩擦、更にはランニング。

<T:7:10〜7:25 清掃>トイレから部屋までぴかぴかにします。

<T:9:05〜11:30 授業> 階段教室で座学の勉強です。

<T:11:30〜12:10 昼食>

<T:12:45〜17:00 訓練>自転車に乗ってのトレーニング

<T:17:00〜17:50 自主トレーニング>自分流のトレーニングを行います

<T:19:15〜19:45 自習時間>自習時間は一歩も部屋からでられません。4人一部屋で、全員が机に向かいます。

竹刀を手に、教官が見回りにやってきては、生活指導をしていきます。

まるで漫画の世界ですが、これが毎日行われているのです。
「ジュースはここで飲んじゃいけないんだぞ。」
「何だこのごみは!」

<T:19:45〜20:00 自由時間>唯一外の世界と交信できるのが夜の電話タイム。皆の表情も違います。

競輪学校の生活は、スケート選手としての生活とは全く違うものでした。
誰かに命令されるのではなく、清水宏保選手とともに、自分の体の声を聞きながら自分たちのペースで自分たちで工夫をしながら練習をしていたスケート時代。
清水選手がこう話してくれました。
「常にこう自分たちで考えてやってきましたよね。自分で納得できるものを求めているんですよね。」

それが競輪学校に入学してからは、すべてが変わったのです。

「逆ですね。全く逆な感じで今は生活していますけれど、今まで経験していなかった分、年齢も凄く若い人から大体23歳ぐらいまでですか、大体そういう人と競争心を持ってトレーニングすると言うことが本当はいやだったもんですから、でも新しい目標に向かって強くなるためには必要なことではないかなと今は」自分を納得させるように話す武田さん。

こだわりつづけてきた自分流の練習方法を捨てて、28歳の競輪学校生が誕生するまでには、多くの紆余曲折がありました。

武田豊樹さんのスポーツ人生を振り返ってみましょう。
子供のときから冬場にはスケート、夏には自転車のレースに参加し、数々のメダルやトロフィーを獲得。自転車ではツールド北海道ジュニアの部で優勝を経験し、スケートでは清水選手を上回る成績も残しました。しかし、5年間在籍した実業団では伸び悩み、ついにスケートを断念せざるをえませんでした。

残るもう一つの道、
競輪学校入試に挑んだのが23歳の春。しかし、結果は不合格でした。

橋本聖子議員の運転手として生活をしながら、失意にくれる日々を送っていた若者に、運命の女神が手を差し伸べます。
清水宏保選手の練習パートナーとして、再びスケートをしてみないかと持ちかけられたのです。

練習パートナーはいつしか、オリンピック選手にまで成長し、500m、8位入賞。
さらには、その後のワールドカップで2勝し、4年後のトリノオリンピックでのメダルも射程圏内に入ってきたとおもわれた、その時、運命の女神が気まぐれを起こしたのです。

「まあ、このままいけば世界の仲間入りも出来るんじゃないかと力と自信を感じて帰ってきたときに、競輪選手になる特別枠が僕に与えられたので」武田さん自身おどろいたと言います。

競輪学校の規約が変わり、スピードスケート短距離のオリンピック入賞者やワールドカップ優勝者にまで入学応募資格が拡大されたのです。年齢制限は29歳未満。当時28歳だった彼にとっては、まさにラストチャンスでした。

「迷いましたよね、スケートの方の目標と自信とにみちあふれているときだったので、でも、一度目標を立て達成できなかったのが競輪の道だったので、」

過去に果たせなかった自転車への夢と、
現在、スケートに抱くあふれる自信と
未来に大して抱く漠たる不安が
心の中で交錯していました。

「そうすると、2006年のトリノ五輪のことは?」
「やってみたいと言う気持ちが大きいんで、今はやりたいと思っています。」

競輪選手になりながら、スケートでオリンピックを目指してみたいと言う武田さん。
しかし、そんなことは可能なのでしょうか。

競輪学校校長の和田輝彦さんはこう答えてくれました。
「競輪選手としてもしデビューした場合は一ヶ月に2回から3回の競輪への参加と言うのが義務付けられていますから、非常に厳しいものがあるのではないかと。ただ、チャレンジして欲しいという部分は個人的には思っていますけれどね。」

今自分に与えられている課題を一つ一つクリアーしていくことで、きっと未来は開けてくる。そんな思いは武田選手を一層練習に駆り立てていきました。

記録回で優秀な成績を残した生徒にのみに与えられるゴールデンキャップをただ一人、8月に獲得し、着々と実力をつけていくのです。

入学から7ヶ月。

修善寺をでて、初めて行われる競輪場実習。

「学校とは違いますか?」
「競輪場と学校の練習場はぜんぜん違いますね。見られている感じがありますね。」

実際のレースと同じ手順で、受け付けから準備、そして、レースまでが行われていきます。
職業として競輪を選ぶという実感が高まります。

あと、4ヶ月で競輪学校を卒業、順調に行けば7月にはプロデビューです。

「ここを無事卒業して、7月にプロデビューをして、それから環境が整えばスケートのほうにもいきたいというか、スケートはしたいですね。オリンピックまでまだまだありますから、一切体を動かしていないわけではないですし。」

毎日小さなレースを繰り返していることで、勝負勘もついて、スケートにもいい影響がでてくるかもしれません。

一方、スケートシーズンも始まり、清水宏保選手からこんなメッセージが届けられました。
「練習しなくても今シーズン僕がある程度走っているので、あせらず、来シーズンを迎える前に練習やれば、だいじょうぶだから、また一緒にやろう。」
ビデオを見ながら武田さんの表情がぱあっと明るくなりました。
「うれしいですね。なつかしいっていうか、がんばろうっていう気になりました。」

スケートのレース結果は武田選手からの要望で毎週競輪学校の宿舎におくられています。
競輪選手でありながら、スケートでオリンピックを目指すことが可能なのか、
その道を求める武田豊樹の旅は続きます。

<カメラ綱川健史、編集松本良雄、選曲伊藤大輔、ディレクター 宮嶋泰子>

オリンピック選手の取材をしながらいつも思うのは引退後の生活の保障が何もないということです。競輪の選手として生計を立てながら、スケートで五輪への道が開かれるのであれば、それは本当に素晴らしいと思います。
ただ、スケートはシーズンが始まると、数ヶ月は競輪を休むことになります。果たしてそんなことが許されるのでしょうか。競輪側の規約の問題や様々な制約があることも事実です。スケートをする環境が果たして整えられるのか、これからも見守っていきたいと思います。

   
 
    
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