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8月26日 岡崎朋美さんへのロングインタビューです


2002年2月のソルトレークシティー五輪、女子スピードスケート500mで日本新記録をマークして6位に入った岡崎朋美さん。
4年前の長野五輪では銅メダルを獲得したものの、その後椎間板ヘルニアの手術をうけ、30歳で3度目の五輪に挑戦。一時は調子が上がらず五輪代表も危ぶまれましたが、さすがはベテラン、しっかり本番にあわせて五輪の舞台で朋美スマイルを見せてくれました。

蝉時雨の中、ホームグランドの富士吉田で
ロングインタビュー。
もうすぐ31歳になる岡崎朋美さんがなぜ、
ソルトレークシティー五輪の後も現役続行を決意したのかを聞いてみました。

今回は全6ページにわたるロング企画です。
ごゆっくりお楽しみください。

これは7月のニュースステーションの番組の特集で取り上げたものです。

 

 

■体と頭

宮嶋:またトレーニングが始まってしまいましたね。

岡崎:そうですね。(笑い)

宮嶋:いつもシーズンが始まる前にいろいろ思うところはあると思うのですが、今回はどうですか。

岡崎:特にオリンピックも終わりましたので、マイペースにやろうかなというところですね。

宮嶋:このところいろんな人が引退していきましたね。92年のアルベールビル五輪で金メダルを取り、世界の荻原として君臨し続けたスキーノルディック複合の荻原健司さんが32歳で引退しましたし、スピードスケートでも、堀井学さん、今回の五輪で長距離種目4位入賞の快挙を成し遂げた白幡さん、そして、岡崎さんの同僚、富士急行の三宮恵利子さんも27歳で引退された。特に三宮さんは「あの筋肉の痛みや苦しみにはとても耐えられない」と言ってやめていったわけですけれど、そのあたりはどう思っていますか。

岡崎:結構な人数がやめていったので、残念だなという気持ちと、ある意味、その中に入らなくてよかったなという気持ちがありますね。そんなこと言ったら失礼かな。(笑い)
オリンピックが終わったからといって、目標がなくなるというものではないので、また、新たな目標というものもソルトレークで見つけてしまったので、あんまりオリンピックというものにこだわらないでいきたいなと思っているんです。
スピードスケートのスプリンターとしてやりたいことは、今は環境も非常によくなってきて、スケートの靴もよくなってきてるんで、スピード重視というのか、記録に挑戦してみたいという気持ちがあるんですよ。だから、ああやってたくさんやめていく人もを見ていたらもったいないと思いましたね。まだできるという人も何人かいるのに。やっぱり気持ちが追いつかないという感じですかね。

宮嶋:今回は岡崎さんにとっては3度目のオリンピックだったわけですけれど、岡崎さんの中では引退した選手たちのように、燃焼しきって、燃え尽きてしまわなかったと言うことですね。自分の中ではどのように今回のソルトレークシティーオリンピックを位置付けているんでしょうか?

岡崎:まあ、とんとん拍子じゃない3度目ですから、いろんな意味がこもったオリンピックだったんですね。それはある意味自分の中のチャレンジということでやってきたオリンピックなので、考えさせられることもいろいろありましたし・・・

宮嶋:どんなこと考えたんですか。

岡崎:一応ない頭を使って考えたんですけれど、やっぱり、人間の体は治っているようで、治っていない部分もありますし、その中で自分の体をどうやって使っていかなきゃならないかっていうことを考えたんですね。自分の中で、手術をしたことで、その試合の時には100%以上の力を出したいって言う気持ちはあるんですが、現に体はどこまで治っているのか、怪我をした部分は内面なので、目で見えないものですから、わからないんですね。
結局は自分の気持ち次第なんだなということを思ったんです。だめだ、腰が動かないと考えてしまうと、本当に動かなくなってしまう。体より頭が動かなくなってしまうので、いや大丈夫だと頭で考えて、動かなくても動くと考えたときに、体はちゃんと毎日練習しているので、動いてくれるんですよ。とても勉強になりましね。

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