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11月8日 フィギュアスケート王国ニッポンを支える人


平松:「非常に公平な立場でね、自分の国とかいうことは出さないんですけれど、やはりそういう有利さは絶対ありますよね。こういうルールができた裏にはこういうことを私たち(国司スケート連盟)は期待しながら、こういう風に変えているんですよっていうことを選手にフィードバックできますからね。」

新しい採点方法が求めるもの、その細部まで知ってトレーニングできることは、日本の強さにつながってくるのです。

さらに2010年、平松さんは、高難度のジャンプに対する採点方法見直しにも携わります。


    

そのきっかけになったのがバンクーバーオリンピックで起きた、難しい4回転に挑むことは損をするのではないかという4回転論争でした。

ロシアのプルシェンコが最も難しい4回転に挑戦します。
得点は165.51になりました。

しかし、トータルでの評価は、あえて4回転に挑戦せず、手堅く完成度の高い演技でまとめたアメリカのライサチェックが、トータルで2ポイント近く上回り、優勝を決めたのです。


 
 

難しいジャンプに挑戦することはもっと評価されるべきではないかのか。
このままでは難しい4回転に挑戦していく選手が少なくなってしまいます。


当時の採点では、4回転に挑んでも、回転不足があれば、1ランク下の3回転ジャンプとみなされ、さらにそこから減点されていました。

そこで、ルール改正が行われ、高い難度のジャンプの基礎点が上がり、回転不足でも基礎点の70%が与えられ、さらに転倒などによる減点が緩和されることになったのです。


   

このルール改正で、浅田真央選手も、回転不足や転倒を恐れず、3回転半、トリプルアクセルにチャレンジしやすくなりました。
難しいジャンプへの挑戦が、フィギュアスケートの醍醐味と認められたのです。


 

過去、冬のスポーツでは、日本選手が強くなるたびに、不利なルール変更が行われてきました。


  

  

  

スキーの複合では、ジャンプと距離のポイントの比重が変えられてしまい、ジャンプが得意な日本選手に不利になってしまいました。スキージャンプでは、スキー板の長さ制限の基準が変更され、身長が低い日本人に不利になったといわれています。
同じルール改正でも、国際競技団体の中に日本の立場を考えてくれる人がいるかどうかは大きな違いです。


  

そして2010年6月に、平松さんは選挙で選ばれて、国際スケート連盟理事に就任することになります。

平松さんが理事になったことで、国際スケート連盟が何をしたいのかという情報は日本スケート連盟にも自然に入り、両者のあいだで連携が取れるようになってきました。


  

その1つの大きな成果となったのが、2014年のソチオリンピックの新しい種目として、フィギュアスケートの団体戦が国際オリンピック委員会によって認められたことでした。



チンクワンタISU会長:「フィギュアスケート団体戦がソチオリンピックの正式種目になりました。スケート界の大きな成功で、これは日本スケート連盟の見事な成功です。」

新種目となるフィギュアスケートの団体戦は、2009年に日本で初めて開かれた世界フィギュアスケート国別対抗戦の成功がきっかけとなったものです。

男女シングル、ペア、ダンスの4種目の合計点で競われます。


  

日本スケート連盟会長を務める橋本聖子さんは、平松さんが理事になるときに全面的にバックアップした一人です。


  

宮嶋:「国際スケート連盟に日本人の理事がいるということの意義はどんなところにありますか?」

橋本:「チンクワンタという会長がいるんですが、その会長に直接ものが言えるスケート連盟に育てていかなくてはいけないわけですよね。常に国際スケート連盟の中で、日本スケート連盟がどういう場においても主導権を握りたいというのが本音です。」

宮嶋:「主導権を握る?!」

橋本:「主導権を握らないと、ルールの改正が知らないところで行われたりすることもあるんですね。常に平松さんにはそのあたりをチェックするようお願いしながらやっているんです。」



日本のスポーツ組織ができて100年。
平松さんが切り開いた道に続くように、女性たちも動き始めました。
選手を強化するだけでなく、国際的にいかに動いていくか、新たな戦略が必要となる時代に入ってきたようです。


  

  

  

  



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編集後記

スポーツを取材し始めた時から、表で見える選手の練習ぶりやコーチの指導ぶり以外の、スポーツ組織がどのように動いているのかを取材したいと思ってきました。そんな中で、平松さんの仕事を取材する機会に恵まれました。スポーツは今や企業と同じです。いかにイベントを成功させ、普及をしていくか、組織がうまく回るか否かは理事たちの頭脳と身を粉にする働きにあると言ってよいでしょう。
実は、今から30年ほど前、フィギュアスケートの実況を私が担当していた頃に、平松さんには解説をお願いしていました。フィギュアの基礎の基礎から教えていただいたように思います。そのころから、スケートのために尽くされてきた平松さんの姿を目にしてきただけに、こうして今、国際舞台で活躍される姿を取材できたことは大きな喜びでした。

長く仕事を続けていると、このようなチャンスに巡り合えるのですね。 仕事をしながら幸せをかみしめることが多くなっている今日この頃です。


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