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8月2日 テグラ・ロルーペ その4「精神的な強さ」


テグラ・ロルーペ選手

4年前、アトランタ五輪の女子マラソン中継の実況を私が担当することが決まった直後、ロルーペにアンケート調査のファックスを送ったことがあります。ロルーペはすでにニューヨークマラソンで2連覇を達成しており、彼女がクリスチャンセンの持つ世界最高記録を破るのは時間の問題といわれていました。返送されてきたファックスを見て私はしばし呆然。
「アトランタでは一万メートルに出場する予定です」とそこに書かれていたからです。

なぜ、ロルーペはアトランタでマラソンに出場しなかったのでしょうか。

マネージャーのワーグナーさんが答えてくれました。
「あのような酷暑の中、アップダウンの激しい坂のあるコースで行われるマラソンを走れば身体を壊す。走るべきではないと医者に忠告されたからです。」
そんなあ・・・・・私はぽかんと口をあけたままでした。だって苦しいのは皆同じ、暑さも、坂も全員が同じ条件なのに・・・・あのマラソンを走って死んだ人はいませんよと言おうとして、はたと気付いのです。きっとそこには苦渋の選択があったに違いありません。 


お洒落なロルーペ

ロルーペの古里は首都ナイロビからさらに自動車で1日かけて移動したところにあります。ポコト族出身のロルーペは大家族の中で育ちました。兄弟はなんと24人。父1人に母4人。一夫多妻制の家族の中で子供の頃から家族のために仕事をするのはあたり前のことでした。

初めてマラソンを走った94年のニューヨークでいきなり優勝し、その記者会見で「趣味は牛の世話」と語ったことが世界中にニュースとして流れました。きっと彼女は、子供の頃から牛の世話をするのが自分の仕事で、それが大好きだったと言いたかっただけなのでしょう。

95年のニューヨークも制し、2連覇を達成したロルーペですが、このときは涙の記者会見でした。直前に最愛の姉を亡くしていたからです。当時33歳の若さで亡くなった姉には1歳から10歳までの6人の子どもたちがいました。ロルーペは今この子どもたちの親代わりになっています。

更に,たくさんの妹や弟たちの面倒を見るのもロルーペの仕事です。現在2人の妹はアメリカの大学に留学中。年間数百万ドルを彼らの為に送金しているそうです。

そうそう、先日親戚の子供が脳腫瘍になり、インドで手術をすることになりました。
その費用2万5千ドルを出したのもロルーペでした。

家族の為にと一口で言っても、村全体が家族のようなもの、皆合わせると100人はゆうに超えてしまう大家族。彼らはロルーペが細腕で、否、細脚で稼いだお金を必要としているのです。


外食のときはドレスアップ

そう、彼女の小さな肩には大家族の生活がずっしりとのしかかっているのです。アトランタ五輪のマラソンを走って万が一体調を崩すようなことがあれば、賞金レースには出場できなくなってしまいます。そうなれば自分一人だけでなく、家族の夢を全て犠牲にしなくてはならなくなる、そんな心配が働いたとしても不思議ではありません。

実際にアトランタ五輪の後、97年のロッテルダムで2時間22分07秒のタイムで優勝すると、ロルーペは世界記録の更新にターゲットを絞ります。翌年の98年ロッテルダムでついにクリスチャンセンの持つ世界最高記録を13年ぶりに塗り替えることに成功。2時間20分47秒をたたき出し、ボーナス15万ドル(当時日本円で約2000万円)を受け取りました。さらには99年のベルリンマラソンで自己の記録を4秒上回る世界最高記録を出し、この時は18万マルク(約1千万円)の収入を得たのです。

賞金を得ながらも、ロルーペの心はやはりオリンピックのマラソンにありました。

今回の取材でロルーペは「私はオリンピックでマラソンを走りのが夢だったんです。」と告白してくれました。

92年のバルセロナと96年のアトランタは一万メートルに出場し、アトランタでは6位の成績でした。その成績は決して満足のいくものではなかったのでしょう。ロルーペ自身は決して言いませんが、もしマラソンを走っていればロバ選手と競り合っていたかもしれないという思いはあったにちがいません。

そして今、ようやくその時が来たのです。家族のことも一段落。南半球で行われる早春のオリンピックで体調のことを気にする必要もありません。ロルーペはやっと、自分の夢を現実のものとする時と、環境を得たのです。

今回のシドニーにロルーペは自分の競技人生を、いえ人生そのものを賭けていると言ってもいいかもしれません。なんと驚いたことに「マラソンと一万の両方にエントリーしたい」と発言し、周囲を驚かせました。女子のマラソンがオリンピックの正式種目になったのは84年のロサンゼルスからですが、もちろん過去に2種目にチャレンジした選手は皆無です。今、ロルーペは歴史に名を刻む道をひた走っているのです。

次回はこの2種目出場が果たして可能なことなのか、ロルーペの強さの秘密に迫ります。

今回のコラムではロルーペのドレスアップした写真をいくつか載せました。ちょっと朝食をとりに行くときでもロルーペはしっかり着替えます。練習のときのジャージで人前に出るなんて事はまずありません。

きっと強烈なプロ意識、トップ選手は皆から常に見られている存在でなければと言う意識が働いて入るのでしょう。1日中ジャージを着ている日本選手を見なれていた私はもうビックリ。


百万ドルの肩もみ!

それにしても、さすが苦労人だけはあって、私が取材中にへとへとになっていると、なんと肩をもんでくれたのです。いつも人のことを思いやっているやさしいロルーペ。
こんな気配りタイプの選手に出会ったのは初めてです。握手した手を洗わないという話は聞いたことがあるけれど、私の肩どうしよう。もったいないもったいない。

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テグラ・ロルーペのプロフィール

1973年5月9日 ケニア生まれ
身長153センチ 体重40キロ

マラソンベストタイム:  
2時間20分43秒 99年9月26日ベルリンマラソン
<世界最高記録>

一万メートルベストタイム:
30分32秒03  99年セビリア世界選手権 3位
<世界歴代6位>(歴代1位から3位まではすでに引退)

5千メートルベストタイム
14分49秒12  99年9月7日 ベルリン
<世界歴代26位>

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参考にして比べてみよう日本記録

マラソン日本最高記録
2時間21分47秒 高橋尚子 98年12月6日 バンコク
<世界歴代5位>(歴代2位3位はすでに引退)

 
1万メートル日本記録
31分09 0秒46秒 川上優子 00年7月1日ブランズウイック
<世界歴代 23位> 

5千メートル日本記録
15分03秒67  弘山晴美 

 
スポーツ古今東西
 
モスクワ大会に始まり、ロス、ソウル、さらには冬の大会も経験し、シドニー大会がなんとオリンピック取材10回目になる宮嶋泰子アナウンサー。取材ではその選手の持っている「根」を掘り起こそうと歳甲斐もなく?大声を張り上げて走り回り、スポーツを縦から見たり横から見たりと大忙し!他とは一味違うスポーツ企画をこのコーナーでぜひお楽しみください。
 
 
    
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