なぜかインド人が集まる街があります。
西葛西。
東京江戸川区にある街です。
江戸川区内のインド人の人口は年々増え続け、いまや2500人以上。
その中でも西葛西には、
インド料理店はもちろん、インドの食料品店、インド人学校まであります。
なぜインド人は西葛西に集まるのか。調査してきました。 |
取材した11月、公園ではお祭りが。インド料理の屋台が並んでいます。
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その場で焼くナンはもちろん、米粉をクレープのように伸ばした南インドの料理も。
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米粉クレープの中には、ポテトで作ったマサラ(色んなスパイスを混ぜたもの)が入っています。
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緑色のチキン!ほうれん草、バジル、パクチー、ミントなどで色づけしています。
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揚げたパンをカレーに添える料理もありました。
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この日行われていたのは、『第11回東京ディワリフェスタ西葛西』。
ディワリというのは光のことで、
日本の行灯のように光を灯して新年と収穫を祝うお祭り。
ヒンドゥー教の暦では、11月が新年なのだそうです。
インド人の皆さんに聞いてみました。
「どうしてインドの方たちは、西葛西に集まるんですか?」
「インド人が大勢いて住みやすいから。」
なるほど…。じゃあ、そもそも最初に西葛西に降り立ったインド人は誰!?
「私たちにとって、ゴッドファーザーのような存在ならいるよ。チャンドラニさん。」
チャンドラニさん?早速、彼を直撃!
「僕が住み始めた頃、インド人はほとんどいなかったよ。」
真っ白な長い髭をたくわえた彼は、流暢な日本語で語り始めました。
ついに発見。西葛西インド人街の原点。
彼がこの付近に降り立ったのは、約30年前の西葛西駅ができる前。
インド人は4家族しかいなかったそうです。
1990年以降インドが経済の自由化を進め、一気に増えたといいます。
ではなぜ、そんなインド人たちが西葛西を好んで住んだのか。
チャンドラニさんが教えてくださいました。
@東西線が便利
日本に来るインドの方たちは、金融系で働くエンジニアが多いそうです。
金融街といえば、大手町、茅場町、日本橋。
西葛西からだと、東西線で15分程度で行けるのです!これは便利!
Aそこに川があるから
インドの方たちは、川のほとりが大好きなのだとか。
西葛西にも、大きな一級河川・荒川があって、
規模は違えどもガンジス川を髣髴とさせ、
インドの光景に近く、散歩などをするとホッとするそうです。
Bやっぱりインド人街は住み心地がいい!
インド人は半分がベジタリアンで、卵も魚もダメな人が多いそう。
そのため、西葛西には真っ先にできたのは、インド人のためのレストランでした。
さらに、家族が引っ越してきて家で料理する人が増えたため、食料品店ができました。
さらに、成長していく子供たちがインドに戻って苦労しないように学校ができた、
というわけです。
そのうち、ヒンズー教の寺院も近くに建てる予定だとか。
インド人の先駆者が礎を築いて住みやすくしたことも、
さらにインド人が増えた理由なのでしょうね。
さて、インドといえば…サリー。
インドの国民的衣装であるサリーを着させていただきました。 |
専用のブラウスとペチコートを着て、布を巻きつけます。その長さ、6m!!
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幾重にも折ってひだ状にし、ペチコートの中に挟み込みます。
まるで着物を着ているような感覚。
チャンドラニさんの奥様曰く、
日本人が味噌汁の作り方を自然と学ぶのと同じで、
みんな、着方を自然とお母さんから学ぶそうです。
色んなかわいいサリーが出ているので、最近でも、若い人がよく着るそう。
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できあがり。サリーを着付けてくださったチャンドラニさんの奥様と。
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奥様と私と、おでこの印が微妙に違うの、分かりますか?
実はこれ、未婚なら長細いもの、結婚したら丸い印、なのだそうです。
家庭のことと健康を神様に祈る意味があって、
昔は粉を塗っていたそうですが、最近はシールも出ています。
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シール
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チャンドラニさんも奥様も、家族のような温かさと親近感がありました。
ありがとうございました。
ところで、日本とインド、似ている部分が多いって知っていましたか?
天気雨のことを、日本語で『きつねの嫁入り』と言いますよね。
インドでは何と言うかというと…『きつねの結婚』!
はるか昔に仏教とともに伝来した言葉に思いを馳せてしまいます。
他にも、日本語の50音「あ、い、う、え、お…」という音は、
インドの古代の言葉、梵語=サンスクリット語にそっくりなのだとか。
日本とインドの関係は、これからますます面白くなっていきます。
10月には、経済連携協定(EPA)締結で合意、
貿易、自動車、様々な分野で手を組んで、競争を勝ち抜いていく関係です。
これから一層、相互交流が深まっていきそうですね。 |