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身長
154cm
出身地
宮崎県
出身校
宮崎西高校→
慶応義塾大学総合政策学部
入社年月日
2002年4月1日
星座
獅子座

2016/3/11 守りの壁と攻めの商品と

先週末、1年ぶりに気仙沼を訪れました。
この時期ばかり思い出したように訪れてごめんなさい。
今回は取材ではなくプライベートだったのですが、
気仙沼の父と母のように慕っている方が、「今の状況をちゃんと見ておいた方がいいんじゃない?」と一緒に海沿いを回ってくれました。

気仙沼湾の最も奥に位置し、被害の大きかった鹿折地区。
ようやく一部エリアで嵩上げが完了し、その上に建造物を建てられるようになったところで、災害公営住宅が建設されている最中です。
復旧だけでなく、これまでになかった新しいインフラにも着工。
気仙沼湾を680mにわたって横断する気仙沼湾横断橋や、
大島と本土とを結ぶ大島架け橋などができる予定です。
「物資が入らずプールの水を飲んでしのいでいる」と船で伝えに来た震災数日後の大島の方を思い出します。

湾沿いを海側へと進むと、要塞のようなものが見えてきました。

防潮壁です。潮見地区のこのあたりでは7mほどあるといいます。

当時襲って来た津波がいかに大きく恐ろしいものだったか、そびえたつ防潮壁の高さが物語っているように感じました。
こういった防潮壁が、高さは違えど、岩手、宮城、福島の沿岸400kmにわたって計画されています。
住民の中には、防潮壁で海が全く見えないことを不安視する声があり、
この防潮壁には小窓ができたそうです。


強化ガラスらしきものが入っています。

ただ、実際に窓の外に見えたものは海ではなく空でした。

人命を守るため、国の復興予算を使って、県主導で進められた防潮堤の建設計画。
一方で、地元住民の意見を聞く前に、あらかた県が決めてしまっていたという話も耳にします。
これが本当に望んでいた形なのか、
気仙沼らしさが消えていく気がする、と、
走り出してしまった計画に抗えないもどかしさ覚える住民の方もいるようでした。

「未来の老舗になってほしい」と町の新しい魅力を開拓する動きもあります。
気仙沼ニッティングです。

気仙沼の海の色を表現したニットもありました。


若くして社長になられた御手洗さんと。

編み物であれば、広い場所も必要ない、仮設住宅ででも作れる。
そういったところから始まったそうです。
10日ほどかけて作りあげるニットは、オーダーメイドで15万円。
高額でも、すでに予約でいっぱいなのだとか。
このブランディングと「攻め」の姿勢が、謙虚な地元の方々に自信をつけ、力強く引っ張っている気がします。
目指すは支援から自立へ。
編み手の皆さんの笑顔が生き生きとしていらっしゃったのが印象的でした。

こちらも気仙沼ならではのもの。

階上地区で生産されているいちごです。
震災で9割の施設が壊滅的な被害を受けましたが、復興して生産。
果肉が柔らかく、甘みが強くて美味しいイチゴでした。


屋台村でいただいたメカジキのハーモニカ焼き

5年というのは、様々な計画が形や成果として目に見えてくる時期なのかもしれません。
その一方で、このままでいいのだろうかという戸惑いが出てくる時期でもあるのかも…。
過去を見てばかりではいけない、
たくさんいいところがあるのだから、そこを生かしてもっと来てもらわないと。
という思いも感じました。

伝えることしか能がなくて、全く力になっているか分からない私ですが、
5年の区切りも関係なく、これからも応援していきたいと思っています。

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