1. トップtop
  2. アナウンサー一覧
  3. パーソナルコラム
  4. バックナンバー
身長
154cm
出身地
宮崎県
出身校
宮崎西高校→
慶応義塾大学総合政策学部
入社年月日
2002年4月1日
星座
獅子座

2015/12/18 小児がん克服のその先へ

豊人くんのお母さんの涙を、今日、初めて見ました。

8年前、取材でお世話になった豊人(ほうと)くん。


8年前の写真です。中央が豊人くん。
抱っこされているのが神経芽腫と闘った当時2歳の潤くん、潤くんのママ理恵さん。

豊人くんは当時小学5年生で、急性白血病で入院。
お母さんの美雪さんは、明るく朗らかな人で、
「うちは大丈夫です!」と笑顔で答えてくださって頼もしく感じたのをよく覚えています。
その後、豊人くんは、闘病生活の末、無事退院し、小学、中学、高校を卒業。
19歳になって、今回、
小児がんの未来を考える会「みらいっぽ」を立ち上げ、
トークセッションを行うということでお招きいただいたのでした。

「お越しいただきありがとうございます。」
声をかけてきた礼儀正しい青年があの豊人くんだとは!
「立派になって〜」と感激。

でもこの8年間は、私が思い描いていたほど順調じゃなかったみたい。

*****
むしろ退院してからが大変だった。
成長するにつれて、問題が生じてきた。

1つには『晩期合併症』の問題。
長期に及ぶ抗がん剤治療などの影響で、自分の場合は手足のしびれが出た。
握力が一桁になるなど、思うように運動できない。
足の力が抜ける、転ぶ、骨折する、
でも見た目には普通だから、
「頑張りが足りないだけなんじゃないの?」
そう言われてしまう。

もう1つは『教育』の問題。
勉強の遅れ。
学校側に、どうしても移動教室などに出席したいなら「保護者同伴」を求められる。思春期に親と一緒はあり得ないのに…友人関係がうまく作れない。
さらに、大学への推薦が受けられると学校側に言われて選んだ私立高校。
3年の春になって、たとえ病気治療であっても欠席が多いと推薦入試を受けられないと言い渡され、選択の幅が狭まる。

先生に 『晩期合併症』について共有してほしい。

*****

体験談を静かに語る豊人くん。
「できない経験ができてよかったと思いなさい。ずっとそう言ってきたけれど…」
お母さんは声を詰まらせました。

 

小児がんが『治る』時代になったからこそ生まれた新たな課題。

ようやく2年前に小児がん拠点病院ができたものの、
フォローアップに関しては複数の科にまたがらざるを得ず、
医療側の連携体制も整っていないといいます。
さらには18歳を超えると通常の3割負担になってしまう『小児慢性特定疾患』への不安も。

小児がんは、いまだに子供の死因トップです。
年間500人近い子供たちが小児がんによって亡くなっています。
それでも、医療の進歩で、7割の子たちが克服できるようになりました。
だからこそ、克服のその先へ。
小児がん…だけじゃなくて色んな病気を克服した子供たちが、
「社会で活躍できる」未来になっていけるように、
受け入れる社会側の理解も進めたいものですよね。


潤くんも小学3年生になりました。

このページの先頭に戻る