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9月16日 山本小鉄さんの遺訓


8月28日、山本小鉄さんが亡くなりました。
亡くなる2週間前に、G1の打ち上げ会場で直接、ご挨拶させて頂いただけに、突然の訃報に接し、
最初は信じることができませんでした。
そして、訃報が現実だとわかると、胸が締め付けられる感覚とともに、後悔の念が沸き起こりました。
実は、私は小鉄さんと飲みに行く約束をしていました。
その約束を果たせず、本当に申し訳ない気持ちになりました。

2009年のG1クライマックス。
ワールドプロレスリング実況陣と、小鉄さんとでトークショーをする機会に恵まれました。
時間にしてわずか数十分。
それは本当に貴重な「ゴールデンタイム」でした。
1年以上たった今でも、その時の小鉄さんの言葉は私の脳裏と心に深く刻まれています。

「古舘さんの驚異的な実況についていくには、自分も実況するぐらいでないと駄目、
そのためには、アナウンサーから振られる前に自分から話すことも必要だった。」

ワールドプロレスリングで放送された過去の映像を見ると、
確かに小鉄さんは実況アナウンサーのような的確でコンパクトな話し方をされていました。
つまり、「ダブル実況」ともいえる手法が確立したのは、小鉄さんの研究の成果でもあったのです。
ある意味、「古舘さん、小鉄さん」タッグは実況の歴史を塗り替えました。
プロレスの持つ「臨場感」、「スピード感」を最大限に伝えるための方法論は、あの時代に確立され、数十年たった今でも色濃く伝承されています。

そして何より心に残ったのは、
「プロレスラーは、ナメられたらおしまい。」という言葉です。

「引退してから解説者として、ナメられないように、懸命に勉強したよ。」
「自分には学がないから、解説者になってからも死ぬ気で必死に勉強したんだよ。」
「辞書を引いては意味を調べ、覚えるために、そのページを食べたんだ。」

小鉄さんの珠玉の解説は、「プロレスラーは、ナメられたらおしまい」という哲学から生まれたのです。

「あなたは筋が良いから頑張りなさいよ。」

小鉄さんから贈られた言葉は私にとって何よりの勲章でした。
小鉄さんに叱られないよう、
世間にプロレスがナメられないよう、
実況アナウンサーとして必死に頑張ります。

合掌

 
 
    
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