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身長
177cm
出身地
埼玉県さいたま市
出身校
県立浦和高校→
早稲田大学
入社年月日
1992年4月1日
星座
天秤座

2014/9/8    この夏の豪雨取材を通して。

この夏、雨の降り方が変わってしまったと実感している方も多いと思います。
実は、私自身も振り返ってみれば、この夏は大雨の取材に追われていました。

7月に沖縄を直撃した台風8号、長野県南木曽町で発生した土石流災害、その後相次いで日本を襲った11号と12号の2つの台風、高知での記録的な豪雨、宮崎での台風被害、徳島の洪水被害、そして広島の大規模土砂災害と、7月8月は大雨や台風の取材ばかりが続いたのです。


南木曽・土石流

報道ステーションの現場取材を担当して丸8年がたちましたが、ここまで雨取材が続いたことはありませんでした。それだけ、極端に降る豪雨のニュースが増えているということだと思います。

そして、この夏の大雨で最も大きな被害が出てしまったのが、広島の大規模土砂災害でした。私は災害発生の初日から9日間、現地で取材を続けました。
初日、上空のヘリコプターから見た被災地は、山のあらゆる沢が崩れ、そこを大量の水が白い滝のようになって猛烈な勢いで住宅街へと流れていました。山裾にせり出すように建てられた住宅地は泥と巨岩に覆われ、まるで真っ茶色の泥の中に住宅が浮かんでいるようにも見えました。上空からこの惨状を伝え続けながら、住民の方々が一刻も早く救出されることを願わずにはいられませんでした。


広島・土石流

その後は、もっとも被害の大きかった八木地区、緑井地区、そして可部東地区を連日歩きつづけました。気温30度を超す酷暑の中、大勢の警察、消防、自衛隊、そしてボランティアの方々が一生懸命に捜索や復旧活動にあたっていました。しかし、その行く手を阻むのが、山から流れてきた大量の土砂や巨岩でした。特に真砂土と呼ばれる土砂は水分を大量に含みぐちゃぐちゃな状態で、10メートル進むのにも10分くらいかかってしまうような場所も何か所もありました。捜索、復旧作業は難航を極めていました。それでも、現場の方々は懸命にそれぞれの作業に黙々と取り組んでいました。本当に頭の下がる思いでした。

この広島の土砂災害現場では、専門家の方と一緒に現地を歩き、なぜ被害がここまで拡大してしまったのか、その原因を探りました。お話を伺ったのは、京都大学防災研究所の釜井教授です。釜井先生が注目したのは、もっとも被害の大きかった八木地区に50年ほど前に作られた県営団地の建ち方でした。県営団地は大きく2つのブロックに分かれて建てられています。今回、土石流はその2つの県営団地の間を流れ落ちていたのです。釜井先生は、当時この団地を設計した人物は、山からの土石流などの危険性を計算していたのではないかと推測したのです。
実際、県営団地の建物には大きな被害はありませんでしたが、その間に立っていた住宅が土石流の被害にあったのです。


県営団地の間を通る土石流

実は、40年ほど前の航空写真を見ると、2つの県営団地の間には住宅は建っていません。当時を知る地元の方によれば、その場所は田んぼや畑が段々に広がっていた場所だったということなのです。そして山からの沢の水を利用した池や水路があったようなのです。

広島では高度成長期に人口が爆発的に増え、市街地は平野部から山裾へとせり上がっていきました。当時は山を切り開いて宅地を造成すれば飛ぶように売れる時代だったといいます。
今回、被害を受けた多くの家は高度成長期以降に建てられたお宅が多く、その場所は、山から水が流れてくるような谷の下の田畑を切り開いた造成地が多く含まれていたのです。そして、そうした場所が今回の土石流の被害を受けてしまったのです。

広島では、15年前にも大規模な土砂災害が起き30人以上の方が犠牲になっていました。実は、私は当時も取材で広島を訪れていました。あの時の災害でも、多くの住宅が土石流の被害を受け、体育館などではたくさんの方々が避難生活を送っていました。先の見えない生活に不安を抱えながらもインタビューに応じてくださった方々のことを鮮明に覚えています。

国はこの時の土砂災害を契機に、土砂災害防止法を制定し、県は警戒区域の指定を進めていたはずでした。警戒区域に指定された地域には、市町村がハザードマップを作り、住民の避難体制を整備する義務を負うというものでした。
ところが、この警戒区域の指定は遅々として進まず、今回被害の最も大きかった八木地区や緑井地区は警戒区域に含まれていなかったのです。

結果、たとえば新しくこの地区に入居してきた方は、そこが谷の下に位置し、かつては沢の流れがあった場所で、土石流などの危険性があることなどを知らされずに住んでいた可能性もあるのです。


被災地にて

京大の釜井先生は、山間に住む場合には、その場所の地形的な特性を理解する必要があると話していました。たとえば、山の尾根の下に位置する場所は一般的に岩盤に連なるため地盤が強固で安全性は比較的高いそうです。しかし、仮にすぐ隣の場所でも、谷の下に位置する場所、つまり普段から水の流れやすい場所は土石流などの危険性も高くなるということでした。

今後はそうした家の建つ場所の特性を理解した上で、それぞれの家の危険度を把握して、いざという時に、どこへどのルートで逃げるべきなのか、より細かな避難計画が必要になってくるということです。行政はそうしたデータを一刻も早く調べたうえで、住民に周知する必要があるのです。

今回の災害では残念ながら15年前の災害の教訓は生かされませんでした。今後、こうした災害を少しでも減らすために、この夏の教訓を忘れてはならないと強く感じました。

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