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4月26日 てら散歩  「東海道五十三次」広重のあの絵の場所を訪ねる


43 四日市



四日市(安藤広重)   
 
三滝橋(四日市市川原町)

絵のタイトルは「三重川」 現在の三滝川のことです。旅人の笠が飛ばされるくらい風が強い日です。柳の木も葦も風にあおられていますが、葦の原は今は四日市の石油コンビナートに代わっています。



葦に代わって煙突

四日市の中心部の大通りからちょっと入った一角、旧東海道沿いに道標がありました。これは1810年(文化7年)に作られた石の道標を戦後に復元したもの。
「すぐ江戸道」(こっちにまっすぐ行くと江戸方面)「すぐ京いせ道」(こっちにまっすぐ行くと京都・伊勢方面)と彫られています。もともと、ここから少し離れた別の場所【四ツ辻】というところに建てられていたそうです。



←まっすぐ江戸方面
 
まっすぐ京・伊勢方面→


「旧東海道はここです」の標識


44 石薬師



石薬師(安藤広重)
 
石薬師寺 山門(鈴鹿市石薬師町)

石薬師寺は奈良時代の726年(神亀3年)泰澄という僧が開いた寺で、本尊は796年(延暦15年)に弘法大師が自ら薬師如来を刻んで開眼供養した像です。



高富山 瑠璃光院 石薬師寺
 
本堂

参勤交代で石薬師を通る大名は、必ず本堂を参拝し浄財を寄進して道中の無事安全を祈願したそうです。


45 庄野



庄野(安藤広重)
 
稲穂の向こうに庄野の町(鈴鹿市庄野町)

絵のタイトルは「白雨」 白雨(はくう)とは明るい空から降るにわか雨、夕立のこと。突然の雨に泡食って行き交う人達の姿が描かれ、雨の勢い、人々の動きが躍動感たっぷりに表現されています。どのあたりの場所を描いたのかはよくわかりません。実際には庄野周辺に坂がありませんでした。


46 亀山



亀山(安藤広重)
 
亀山城 多聞櫓(亀山市本丸町)

絵のタイトルは「雪晴」 亀山城京口門付近から見上げた急斜面と櫓、木柵を描いたようです。一面の雪景色、太陽の光を反射して白く輝いています。
私は、現在三重県下で唯一残っている城郭建造物・多聞櫓と高い石垣をバックに石坂門跡付近から撮影しました。



亀山城 石坂門跡


47 



関(安藤広重)
 
伊藤本陣跡(亀山市関町中町)

絵のタイトルは「本陣早立」 早朝まだ夜が明ける前、本陣で出発の準備が行われています。

ところで、「関の山(せきのやま)」という言葉ご存知ですよね?
                           「関の山」=「これ以上はない。精一杯である」
この言葉がこの関の宿から来ているということを今回初めて知りました。どういう事かというと、夏祭りで有名な関の山車が豪華絢爛で町内の街道をいっぱいにふさぎ、これ以上通るに通れない様子を表現した、または山車がとても豪華で、これ以上贅沢は出来ないことから来た言葉だそうです。



山車が収納されている建物
 
窓から覗いてみると…

1984年(昭和59年)に国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定された関地区。建物の修理や景観の保全が進められ、伝統と現代の人々の暮らしが調和する町並みが広がっています。



関宿 高札場
 
街全体が江戸時代
   
 
    
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