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6月17日 20年シリーズ第2弾 パリダカ編

93・94年の二度、パリダカールラリーの現地リポーターを担当しました。
パリのエッフェル塔の下トロカデロ広場をスタートして、西アフリカのモーリタニアの首都ダカールを目指す「世界で最も過酷」な長距離ラリーです。


砂漠の資料

氷点下でのスタートの実況中継は、寒くて寒くて大変でした。
机の上のホットコーヒーが、いつの間にか凍っていました。
徹夜で放送の準備をして、朝まだ暗いうちからスタートです。
大歓声に送られて出発です。


スタート中継

マシンは、ヨーロッパ大陸をスペインまで一般道をゆっくり縦断し、船で海峡を渡り、モロッコに入ります。
アフリカステージに入ると、本格的なレースが始まります。
ここから我々の野営生活も始まります。
シャワーもトイレもないテント生活が約3週間続くのです。
このラリーを放送するフランスのテレビ局や、大会関係者はみんな一緒に行動します。
大規模な移動キャンプといった感じです。


いよいよ砂漠へ

僕とカメラマンはコンビを組み、毎日ヘリコプターに5〜6時間乗って、走っているマシンの映像を撮影し実況を付けます。
人呼んでテレ朝「空軍」です。
それ以外の6人のスタッフは「陸軍」。


パリダカ出発!


砂漠の相棒

朝6時前。
辺りがまだ暗いうちに寝袋から抜け出し、テントをたたみ、出発の準備です。
砂漠の朝は寒くて、白い息を吐きながらの作業です。
寝坊なんて決して許されません!
一杯の紅茶とランチボックスをもらって、出発です。
朝食は食べません。
ヘリに乗っていて気持ち悪くなってしまうからです。


砂漠の夜明け


夜明けに出発

これがランチボックスの中身。
ドライフルーツやナッツ、スナックです。
万が一のことがあっても、数日くらいは生き延びられるでしょうか。


これが食糧


夜食で〜す

ヘリで先回りしてマシンを撮影したり、マシンの横を飛びながら撮影・実況を付けます。
撮影中のヘリのドアは開けっ放しです。
カメラマンはシートベルトのような固定ベルトや命綱を機体と結び付けていますが、カメラマンの後ろから肉眼でマシンを見ている僕は、シートベルトなどしていられません。
ちょうどこんな感じで、上半身をぐっと左にひねって隙間からマシンを覗いて実況を付けるのです。
今考えれば、とても恐ろしい状態で取材していました。


ヘリ実況

 
砂丘でマシンを待つ                   撮影中  

パイロットは凄腕でした!
時速130kmで走るマシンの屋根に僕たちを楽に降ろせそうな技術を持っていました。
後で聞いたら、フランス空軍の元戦闘機パイロットだったそうです。


パリダカ空軍

時々「本当に死ぬかもしれないっ!!」と思う瞬間がやって来ます。
ヘリでアトラス山脈を越えるときに、乱気流で5mくらい叩き落されたように急降下したことがありました。
また、濃い霧の日に飛行中、遊牧民に手を振って応えていたら目の前に、突然高圧線の鉄塔が現れ、衝突、墜落しそうになりました。
遊牧民は、手を振っていたのではなく「気をつけろ!」とサインを送っていたのでした。
今でもあのときの急降下の浮遊感覚を思い出すと、背筋がぞっとします。

毎日、トップ争いをしているマシンや、パンクやトラブルで大きく遅れたマシンを撮影してキャンプに戻ります。
ヘリコプターは有視界飛行ですから、明るいうち夕方4時にはキャンプに帰還し、編集スタッフに取材テープを渡します。
時には大砂丘群に阻まれ、多くのマシンがその日のゴールに到着せず、翌朝大会主催者からの指示で捜索に向かったこともありました。


美しき砂丘


砂丘に立つ・・・って誰?!

大会日程はその年によって多少変わりますが、クリスマスや年末にスタートして約3週間のレースです。
砂漠で新年を迎えることもあります。
この年はモロッコの砂漠で年越しでした。現地スタッフ8人で蕎麦をゆで、もちを焼いて食べました。
その味といったら、織田裕二さん張りに「日本人に生まれてよかったぁ〜!!」と叫びたくなるほどでした。

レースの半ばには一日だけ安息日があって、競技は休みです。
参加者はマシンの整備に専念しますが、僕たちは街中でロケです。
つかの間の休息を味わった後、さらに熾烈さを増すレースに戻ります。
この頃からスタッフみんな、かなり疲労がたまってきて、「日本に帰ったら何を食べる?」という話題で盛り上がります。
疲労の程度によって食べたいものが変わってくるのが面白かったですね。
はじめのうちは「焼肉」や「うな重」と言ってた人が「すし」「そば」になり、最後は「白いご飯と味噌汁と漬物」と答えていました。
やっぱり日本人なんだな、と実感です。


安息日


歓迎されてるの?

ゴール地点はセネガルの首都ダカールにある「ラックローズ」(ばら色の湖)です。
塩湖でプランクトンの発生によって鮮やかなピンク色に染まるといわれる神秘的な湖です。
そこで約5000kmを走破してきたマシンが、栄光のゴールを迎えます。


ゴール地点

このゴールの中継が終わると、僕たちの全ての仕事が終了です。
ゴール中継も前夜は徹夜です。
砂漠の取材からホテルに戻ると午前2時半を過ぎていました。
食べるものが無くて、スタッフの一人が非常用に隠し持っていたインスタントラーメンをめぐんでもらい、ホテルの部屋で食べました。
砂漠で使っていた固形燃料と食器で、火事を起こさないように気をつけながら作りました。
この取材の中で、一番おいしいと思った食事でした。
また「日本人に生まれてよかった〜!」と叫びたくなりました。


最高に美味かった!

過酷な砂漠での取材活動で唯一、ほっと出来るひと時があります。


パリダカ砂漠で聴く曲は・・・?

ヘリでキャンプに帰還してから、日没までの数十分。
好きな音楽を聴いている時です。
ステレオヘッドホンを砂が入らないようにビニール袋に入れているのが分かりますか?
さて、ここで問題です。僕が聞いているのは誰の歌でしょう。
1)杏里  2)ユーミン 3)石川さゆり
この人の歌声は、心にしみたなあ〜。

・・・・正解は3)石川さゆりさん

このように非日常的な生活をしていると、さまざまなことを考えました。
大げさに聞こえるかもしれませんが、人生観が変わった仕事でした。
精神的にも筋肉質で骨太になった感覚でした。
帰国したときには体重も4kg減って、心の贅肉まで落ちたような軽やかな気分でした。
ちょっとすっきりした顔に見えませんか?・・・気のせい?


テント生活


モーリタニアの砂漠

私たちテレビ朝日のパリダカ放送が終了した翌年、篠塚健次郎さんが日本人として初優勝を成し遂げました。
その瞬間を現地から伝えることが出来なかったのは、残念でなりません。
その後増岡浩さんも優勝を果たしました。


おまけ写真  トアレグ巻き
ターバンをトアレグ族の方法で巻いてみました。
   
 
    
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