- 177cm
- 岡山県和気郡和気町
- 岡山城東高校→
早稲田大学教育学部 - 2007年4月1日
- 射手座
2月20日。やはりひんやりとした冷たい空気でした。
でも、春はすぐそこまでやってきている。
そっとそう教えてくれるような、とても穏やかな天候でした。
この日、新日本プロレスの頂点を決める、IWGPヘビー級選手権が、
17年ぶりにこの地で、開催されました。
3200人。
会場は、超満員に膨れ上がりました。
毎年、東京ドームで4万人を超える興行を行うことを考えれば、
決して特筆すべき数字ではないかもしれません。
しかしそこには、数字をはるかに凌駕する「熱」がありました。
3年半。
私がプロレスを担当してから経過した時間です。
その地を訪れるのは、初めてのことでした。
担当以来、年々勢いを増す新日本プロレスが、
「地方でIWGP戦を」と銘打って、実現したこの興行。
集まった3200人のファンは、何万人にも感じられました。
同時にそれは、偽りなく、紛れもなく、1つでした。
それは、東日本大震災のわずか20日前。
仙台で行われたものでした。
あの日、王者棚橋選手が、初防衛を果たしました。
そして、リング上インタビューで、
私は初めての光景を目にしました。
王者が、泣いていたのです。
新日本プロレスが、苦しかった時代を乗り越えたこと。
東京ではない、仙台でIWGP戦を行うという約束を果たせたこと。
そして、メインイベンターとして大いに「熱」を生み出せたこと。
きっと、様々な想いが胸に去来したことと思います。
会場にいたちびっ子たちの中には、
「棚橋Tシャツ」を着ている少年もいました。
大きな声で、王者の名を叫び、
色紙を片手に会場を走り回っていました。
仙台での勝利後、王者にキスをする女の子。
それから20日が経過した、2011年3月11日。
東日本大震災は起こりました。
震災以降、様々な議論が交わされ、
その中で選手たちは「プロレスラーにできること」を考え、
悩みぬいたと聞きます。
約3週間が経過した、4月3日。
聖地・後楽園の二階席に掲げられた横断幕には、
次のように書かれていました。
新日本!!今こそ勇気と元気、笑顔を!!被災地へ届け!!
これが、選手たちが出した答えでした。
「プロレスラーだから、戦うことでしか伝えられない。」
「何度でも立ち上がる姿を、あきらめない姿を届けたい。」
この日、震災以降初めて行われた頂上決戦では、
王者棚橋選手が、35分を超える激闘の末2度目の防衛を果たしました。
そして防衛後、控え室前で行われたインタビューで、
私は、王者の2度目の涙を目にしました。
喜びと興奮に感極まって涙した1度目のそれとは、
明らかに性質の違うものであったことは、言うまでもありません。
「仙台・東北のファンに、どんな言葉で気持ちを伝えたいですか?」
という問いに、王者は、すぐには言葉が出てきませんでした。
しばらくして、顔をくしゃくしゃにしながら、
鼻をすすり、目を真っ赤にして、
言葉を振り絞りました。
「ありがとう。本当に、ありがとう。
皆のおかげでプロレスが出来るし、毎日感謝してるし、
被災地のことはずっと応援しています。
俺も、元気出していくから。
いつも応援してるから。
皆で立ち上がりましょう。」
大粒の涙が、何度も何度も、汗でぬれた王者の頬を伝いました。
震災発生から、間もなく50日目をむかえます。
決して長いとは言えない。でも、確かに経過した50日間を考えたとき、
「なにかしたい。だけど、その方法が見つからない。」
こうした思いにかられた方も、少なくなかったのではないでしょうか。
私が、その一人です。
節電をすること。買いだめをしないこと。
小さなことを重ね、被災地に想いを巡らせた50日間でした。
また、自分の微力さを痛感する一方で、
「アスリートの持つ力の偉大さ」も改めて感じた50日間でした。
三浦知良選手が、ゴール後に踊ったカズダンス。
星野仙一監督率いる楽天が、約束を果たした開幕戦勝利。
石川遼選手が、年間獲得賞金全額寄付を表明して臨み、
初の予選通過を成し遂げたマスターズ。
「被災地の皆さんのために…」
それぞれが、一様に気持ちを届け、
「元気が出た。勇気をもらった。笑顔になった。」
という被災地からの声も伝わってきました。
そして、50日が経過した今だからこそ、改めて、
「プロレスの持つ力」について考えています。
少年サッカーチームや、少年野球チームがあることを考えれば、
幅広い影響力という点において、プロレスは、
サッカーや野球のそれには及ばないかもしれません。
しかし、間違いなく、
震災の20日前、あの時仙台に集まった3200人にとっては、
プロレスが、何よりもの希望であると、一切の迷いなく確信を持てます。
プロレスを楽しみにしている子供たちがいることを、
プロレスを待っている大人たちがいることを、
私に強く再認識させてくれたのは、他のどこでもない、
仙台という地でした。
震災後50日目をむかえ、3ヵ月、半年、1年と月日は流れていきます。
その中で、本当に大事なことは、
棚橋選手が号泣しながら答えた言葉の中にあると信じています。
「被災地のことはずっと応援しています。
俺も、元気出していくから。
いつも応援してるから。
皆で立ち上がりましょう。」
涙をこらえきれないほどの感情を背負い、
戦いを待つ誰かのために、プロレスラーは戦っています。
その中で私に出来ることは…。
「戦いを、全力で伝えること。
全力で伝え続けること。」
大それたことは出来ません。
微力であることもわかっています。
でも、これが私に出来る唯一のことだと信じて、
この先も、ずっとずっと、
プロレスと真摯に向き合っていきたいと思っています。
プロレスの力を信じて…。