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5月17日 アーチェリー山本選手、44歳の激闘


北京へ向けて集中

アテネオリンピック銀メダリストのアーチェリー山本選手。
44歳の今も現役で、常に前を向いて競技を続けています。
その山本選手が北京オリンピック出場をかけた大会が
5月12日(土)、13日(日)、静岡県の掛川で行われました。
(※今回は厳密には世界選手権代表最終選考会ですが、事実上五輪出場権も兼ねています)

彼とは個人的にも長い間、親しくさせてもらっています。

今回のルールは90m、70m、50m、30mのそれぞれの距離で、
6射ずつを6エンド(セット)の36射、全部で144射の合計ポイントを争うものです。
ご存知のようにアーチェリーは真ん中が10点で、外に行くほど点が下がります。
つまり満点は1440点となります。

丁度1年前、日本人初の世界ランク1位になった山本選手。
先月に行われた予選でも段トツの成績で1位通過だった山本選手だけに
私は安心していたのですが、
初日の90mでとんでもない事が起きてしまったのです。

最初から「風が読めず」に信じられないミスを連発。
なんと90mの36射を終わったところで283点(満点は360点)の12人中10位、
首位と36点差、五輪代表の絶対条件である3位選手の得点までもが22点差
という惨憺たる成績だったのです

ありえない、別人、ゲームセット…様々な言葉が報道陣に去来したはずです。

続いて行われた70mでは1位の成績で盛り返しましたが
初日を終えて総合7位。
3位選手との得点差が16点と、
「客観的に見たら逆転は不可能(本人談)」という絶望的な結果となりました。

☆初日(90m、70m合計)結果

1位 古川 653点
2位 坂野 640点
3位 守屋 636点   (3位以上が出場権)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
4位 天野 635点
5位 脇野 622点
6位 島野 621点
7位 山本 620点

現地に行っていた担当記者から「大変です!」緊急電話をもらった私は
「いても立ってもいられない…でも、私が行ったことで精神状態に乱れが生じたら」
と一瞬悩みましたが、
「世界のヤマモトが、私が現れたごときでどうなるはずもない」と勝手に判断し
翌日曜日の早朝に東京の自宅を後にし、新幹線に飛び乗りました。
今回は取材ではありません。ただの個人的な“応援”です。

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運命の2日目は50mと30mの合計72射。
距離が短くなるだけに日本のトップクラスが揃うこの日のメンバーでは
差がつきにくく、1射のミスが命取りです。

なんとか本番前の練習時間中に私は会場に到着できました。
場内が報道陣も含めてピリピリムードになっているのが痛いほどわかります。
彼に気づかれないようにテントの陰に隠れて双眼鏡で覗いていましたが
ふとした時に見つかると、彼の方から手を振って寄ってきてくれました。

「いや、あの…、隠れていようと思ったんだけど…」
「わざわざ来てくれたの?悪いね。自分でも信じられないほどの精神状態でね…
 こんな時でもフシギと周りは良く見えるんですよ。」
「愚問だけど、昨日は寝られた?」
「全然…。それだけ北京に行きたいということなんですよ。」

こんな状況でも短い言葉で思いのすべてを話してくれる。
彼の一言一言にこちらの体にも電流が走ります。

いよいよ前半の50m、36射が始まりました。
差がつきにくい後半の30mのことを考えると、
この50mで最低でも3位とは5点差に縮めたいところです。

(※2日目の50m、30mでは3射ごとに1エンドとカウントしますが
選手は6射ごとに点数を数えて表示するので、
ここでは便宜上2日目も6射ごとに1エンドとして表記します。)


第1エンドの6射、
まだ本調子ではないのか、逆に差が1点開き、3位選手とは17点差に…。
大きな不安のスタートとなりました。

しかしここからが世界のヤマモト、じわりじわりと点差を縮めていきます。
私も双眼鏡片手に手書きの得点表に記録していくのですが、胃が重い状態が続きます。
コンディションは強風。その止み間をぬって選手は風を読みます。
一進一退が続く中、この50mの後半に猛チャージがかかりました。
50mの36射を終えて、この部門首位タイ。
トータルで、なんと3位と4点差に縮まったのです!

☆50mを終えての総合結果

1位   古川 964点
2位   守屋 958点
3位   坂野 946点    (3位以上が出場権)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
4位   天野 944点
5位タイ 山本 942点
5位タイ 脇野 942点

「奇跡の逆転代表はある!」報道陣も色めき立ちました。


残るは30mの36射。
報道陣は色めき立っていますが、4点差を返すために精神集中です


30m先にある的はこの大きさ

運命の最終ラウンド。30mの36射に入りました。
1位と2位は事実上、逆転不可能な位置にいるので3位狙いしかありません。
(もちろん選手は競技中にそんな考えは一切持たず、自分との戦いです。)

そして…風が止みました。

【第1エンド】 山本の結果は6射59点でトップ! 総合4位タイに躍り出ます 。

【第2エンド】 山本は6射58点。この結果、大変な事になってきました 。

☆30m第2エンド終了時の結果

3位タイ 天野 1060点  (近畿大学4年)
3位タイ 坂野 1060点  (愛知産大三河高3年)
5位タイ 山本 1059点  (日体大教員)
5位タイ 脇野 1059点  (自衛隊体育学校)

5位タイに下がりはしましたが、1点差になんと4人が並び
遂に3位と1点差に追いついたのです!あと1点追いつけば北京が見える…
しかし、ここからがアーチェリーという競技の奥深さでした。


【第3エンド】 信じられない大事件が起きました 。
初日2位、ここまでも3位タイと大健闘していた高校3年生の坂野が
規定時間の2分以内に3射を撃てず、合計5射49点しか取れず脱落したのです
同じく3位タイだった大学4年生の天野は57点と一歩後退。
一方の山本は59点と抜群の集中力を見せ、遂に逆転3位かと思われたのですが、自衛隊の脇野が第2エンドに続き、この第3エンドでもパーフェクトの60点を出し 、3位争いのトップに立ったのです。
全く息が抜けません。

☆30m第3エンド終了時の結果

3位 脇野 1119点
4位 山本 1118点
5位 天野 1117点
6位 坂野 1109点


【第4エンド】 山本は6射58点 。
決して悪くは無いのですが、好調自衛隊の脇野は59点、その差が2点に開きます。
そして5位の大学4年生天野も59点を出し、山本に追いついたのです!

☆30m第4エンド終了時の結果

3位   脇野 1178点
4位タイ 山本 1176点
4位タイ 天野 1176点


【第5エンド】
 またアクシデントが起きました!
パーフェクト2回と絶好調の自衛隊脇野が大きく崩れ6射で53点と一気に脱落です。
本当にアーチェリーは恐ろしい…。
山本は58点。しかし3位争いのトップに立ったのは59点を出した天野でした。

☆30m第5エンド終了時の結果

3位 天野 1235点  (近畿大学4年)
4位 山本 1234点  (日体大教員)
5位 脇野 1231点  (自衛隊体育学校)


【第6エンド】 遂にやってきた最終第6エンド。この6射ですべてが決まります 。
ここまで驚異の追い上げを見せている山本ですが
一度も3位争いのトップに立つことなく、1点差で最終エンドを迎えました。

時間内であれば撃つタイミングは自分で自由に決められます。
山本は比較的早めに先行して撃っていきます。
最初の3射が終わりました。
山本は10点、9点、9点の28点。
天野は10点、10点、9点の29点。

なんということでしょう、土壇場でさらに1差広げられ
その差が2点となってしまったのです。

そして運命のラスト3射。
山本は10点、9点、10点の29点で静かに撃ち終えました。
天野はゆっくりと撃っていきます。
10点、9点…最後の1射が残りました。

8点なら同点ですので過去の実績を考慮で山本です。
9点以上なら天野に決定。大学4年生の彼にとっても五輪は人生初です。

そして運命の1射…

私も双眼鏡で凝視していたターゲットのど真ん中に矢が刺さりました。
10点!
「やった〜っ!!」
静かな競技場に彼の絶叫が響き渡り、
緊張から解き放たれた大学4年生天野が歓喜で崩れ落ちました。
それは四半世紀前の山本自身の姿でもありました。


☆第44回世界ターゲット選手権大会最終選考男子決勝

1位 古川  1311点 (世界選手権大会出場)
2位 守屋  1302点 (世界選手権大会出場)
3位 天野  1293点 (世界選手権大会出場)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
4位 山本  1291点 (補欠)
5位 脇野  1289点
6位 坂野  1283点


最終結果が出揃いました。
144射の文字通り最後の1射までもつれた勝負は
合計1000点以上の争いで、わずか2点差で裁きが下ったのです。

山本の周りに10台以上のテレビカメラが集まり、取材が始まりました。
記者もなんと声をかけていいかと、重い空気が流れます。


敗れた直後に大勢の報道陣に囲まれます

おそらく彼が3位通過していたら私も飛び出していっていたでしょう。
今日は取材じゃないから…自分に言い訳をし、足が前に出ませんでした。
呆然とたたずんでしまったというのが正確な表現かもしれません。
(手書きの記録も最終エンドは書き込まれていません。)


私の手書き得点メモ。手に汗握り記録しました

しかし彼は気丈に答え続けました。
「今日はアテネ五輪に近いほど集中できました。」
「北京への挑戦は自分の中では終わったと思っています。」
「(補欠だからといって)彼らがしくじることを前提とした事を考えると、明日からアーチェリーが楽しくなくなるので考えません 。」

なんという潔さ、誰もが逃げ出したくなる状況でのマスコミ応対も見事です。
アテネ銀メダルの後も浮かれることなく、
北京を目標にひたすら練習を続けてきてのこの結果の後で、この態度。
敗れたときにその人の本質が見えるといいますが、多くのものを学ばせてもらいました。


それでも彼は聖人君子ではありません。
マスコミの囲み取材が終わると弓を片付け、わざわざ私のところにやってきてくれました。

「ダメだったよ〜、ゴメンね〜。」
「とんでもない!…でもこんな時に言うのも変な話だけれど
今日はアーチェリーという競技の面白さ、恐ろしさを十分味わわせてもらいましたよ。」
「うん、ありがとう。でも結果がね〜。」
一人のフツーの同級生のオジサンに戻った瞬間でもありました。


2日後、彼に電話をしました。
「どう?みんなが腫れ物に触るようにしてるかと思って、声を聞いてみようかと。」
「ありがとう。教え子の学生がみんな気を遣ってくれてたけど、『これで海外遠征がしばらく無いから休講も無いぞ』と宣言しておいた 。」
どうやら大丈夫そうです(^_^)

最後に彼の公式HPブログから一節

一夜明けて・・・自殺することも無く、引退を宣言することも無く、ヤケ酒を飲んで二日酔いになることも無く今日を向かえました。今後に向けて家族からの応援と理解も確認することもできました。
明日からも、走りはしないけど、歩いてみることにしました。
どうぞ今後も、山本が歩いてる姿に声をかけてやってください。
よろしくお願いいたします。


今年の4月から、新生スーパーモーニングのレギュラーコメンテーターになった山本選手。この大会に臨むためしばらくお休みでしたが、次回からは毎週水曜日に画面で見ることができますね。


毎週水曜日にスーパーモーニングで
   
 
    
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