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身長
173cm
出身地
大阪府松原市(~9才)、佐賀県(~18才)
出身校
佐賀県立鹿島高校→
早稲田大学政治経済学部政治学科
入社年月日
1997年4月1日
星座
獅子座

2014/3/21 東北へ

「百聞は一見にしかず」ということで、
久しぶりに東北へ行きました。

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■2月3日(月)

曲がりくねった山道を下っていくと、
だだっ広い更地が見えてくる。
ところどころでブルドーザーや
ショベルカーが行き交い、
土の山をならしている。
その向こうには
波のない穏やかな海。
日差しの照り返しがまぶしい。

海岸沿いの平野部は、
かつて街があったことを
イメージできないほどに、
何もかもなくなっている。

震災発生後、
街を覆っていたさまざまなものは
すっかりどこかへ運ばれてしまったようで、
土地をかさ上げする段階に入っている。

工事が始まっていないところでは、
枯れすすきが伸びていて、
その高さが時の経過を感じさせる。

車から降りると、
枯れすすきの下に
住宅の基礎が見える。

そして、
道路脇の溝にそって歩くと、
そこには、
変形した“あみじゃくし”や、
ビデオテープ、
布きれ、
エアコンのリモコン・・・。

“生活の証”があちこちに残っている。

あらためて、
安易に「がれき」などと
口走ってはいけないと
思いしらされる・・・。

普段、月~土曜日まで
スタジオの仕事を担当していて、
現地へ行く機会が少ないので、
今回の休みに、
石巻、女川、南三陸、気仙沼の現状を
かけ足ながら見てきました。

続きはまたあす以降に。
今週もよろしくお願いします。

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■2月4日(火)

被災地を車で移動していて気づくのは、
ダンプカーなど工事車両が多いことです。
東北以外の他県ナンバーの車両も目立ちます。

復興需要の高まりで、
建設資材・機材・人材が
全国的に不足気味だ
という話を耳にしますが、
それもわかる気がします。

地域によっても差がありますが、
きのうも書いたように、
津波の被害を受けた沿岸部では、
盛り土によるかさ上げ工事が
始まっています。

地元の人たちによると、
仮にかさ上げしたとしても、
そこに造ることができるのは、
公園や商工業施設などに限られていて、
住宅を建てることはできなくなったので、
「いずれにしても、
元の暮らしには戻れない」と
話していました。

いわゆる「高台移転」も
徐々には進んでいるようですが、
金銭面、精神面、仕事の面などで、
現実的にはなかなか難しく、
津波被害を受けた方々の多くは、
いまもなお仮設住宅に
暮らしているというのが現状です。

そうした現地の方々から
今回、何度も聞かされたのが、
「いまでは信じられないんですが」
という言葉です。

続きはあす以降に。
またあした。

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■2月5日(水)

「いまでは信じられなんですが、
あの高さまで津波がきたんです」
「ちょっと信じられないですが、
海からこんなに離れたこの家も、
2階まで水に浸かりました」

そこに暮らしている人たちにとっても、
いまでは、あるいは、いまでも
そう感じるんでしょうか。

「信じられないようなことが
実際に起きたんです」
と私たちに訴えかけている
ようでもありました。

確かに、
「海の底が見えるくらいに
水が引いたあと、
黒い煙のようになって、
津波は押しよせてきた」
という話は、
私たちの想像をはるかに越えています。

「振り返ってみると」といって、
こんな話を聞かせてくれた方もいました。

内陸や山のほうなのに、
地名に「磯」や「船」などのついた場所があり、
「ここまで磯がついた」
「ここまで船が流された」
という話を聞かされたことがあったが
以前は信じられなかった。

しかし、そうした地名をはじめ、
地元の先人たちが、かつての惨状を
必死に後世に伝えようとしていたことが
今回の震災で
「ことごとく実証された」
ということでした。

現地で聞く、
過酷な体験を伴った言葉は
ズシリと心に響きます。

身の回りの備えについて、
あらためて考えさせられます。

この話、あす完結させます。

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■2月6日(木)

「いつ自分の身にふりかかるか
わからないということです」
と振り返る男性。

3年前の3月11日の朝、
いつものように
父親を残して家を出て、
午後、職場で被災。
津波をかぶった自宅に戻っても
父親の姿はなく、
1週間後、
3桁の番号がふられた遺骨となって
帰ってきたそうです。

男性は自分たちの経験が
生かされるようにと
体験談や教訓を話してくれる
“語り部”の1人です。

かつての何げない暮らしのありがたみを
いまになって感じているといい、
最後に「日ごろの用心を大切に」と
お話ししてくださいました。

***

報道フロアに戻ったいま、
見てきたこと、聞いてきたことを
忘れないようにと思い、
この場に記しました。

あっ、それから、
南三陸町の「さんさん商店街」
(復興仮設商店街)で食べた
海鮮丼がおいしかったです!

この話はここまでです。
またあした。

(日付は「ニュースもうひとこと!」
( https://www.facebook.com/tvasahinews )
にアップした日です)

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