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身長
173cm
出身地
大阪府松原市(~9才)、佐賀県(~18才)
出身校
佐賀県立鹿島高校→
早稲田大学政治経済学部政治学科
入社年月日
1997年4月1日
星座
獅子座

9/12 “地球の裏側”から見えたもの


“地球の裏側”から見えたもの

2020年東京オリンピック開催決定の舞台裏



現地からの中継(日本との時差は12時間)

午前2時前。
日本との時差12時間のメディアセンターから
昼ニュースの中継リポートを終えて、
タクシーで宿泊先のホテルへ向かう。

長時間缶詰だった会場から解放され、
外の空気を味わおうと、窓の外を眺める。
暗闇の路地に、大きなゴミ箱を囲む4つの人影。
1つは大きいが3つは小さい。
親子なのか、わき目も振らずごみをあさっている。
別の場所では、腰の曲がった年配の男性が、
ゴミ袋を引きずってどこかへ持っていっている。
華やかな舞台を一歩出ると、
こうしたすさんだ景色があちこちにある。

2020年夏のオリンピックの開催地を決めるIOC総会。
普段はスタジオからニュースをお伝えしているが、
東京に再びオリンピックがやってくるかもしれない
歴史的な瞬間を現地からリアルタイムで報告する機会を得た。
舞台は、アルゼンチンのブエノスアイレスだ。

飛行機を乗り継いで26時間(帰りは30時間!)の、
東京から見れば、地球の裏側。
猛暑の東京とは季節も逆で、
夜には氷点下になることもある気温差に加えて、
昼夜逆転の時差。
そして、うかうかと外を歩いていては危険もいっぱいの街。
電話もつながりにくく、
基本的に街では英語も通じない。(公用語はスペイン語)
トラブルなく取材を進めるだけでも、
なかなかハードルが高い。

わずか数日間、現地にいただけでも、
通話中の携帯電話をひったくられるのを見ただの、
ケチャップや汚物のようなものをかけられて、
その隙に財布などをすられた、
あるいは、すられそうになっただの、
リュックサックの置き引きにあっただのと、
メディアや招致関係者も被害にあったという話が
次々と耳に入ってくる。


ということで、車の中から・・・

日中は、ラテンの陽気な雰囲気も感じられ、
街の人からにこやかに話しかけられたりもするが、
そんな物騒な話ばかり聞かされたら、
油断するわけにはいかない。
街を歩くときにも常にキョロキョロと身も心もこわばる。
歩きながらの電話はもってのほか。
街並みをカメラに収めるなら、
周りを確認してすばやくだ。

東京とはあまりにも違うそうした環境は、
いやおうなく東京を意識させるものだった。
招致メンバーがこの地での
最終プレゼンテーションで訴えたのは、
安全・安心・確実なオリンピックの開催能力だったが
その言葉は、2週間前に
東京都庁の記者会見場で聞いたときよりも、
ブエノスアイレスの空気とも相まって、
より実感を伴ったものとして、
心地よく聞けるものだった。


メディアセンターにて

しかし、ご存じのとおり、
福島第一原発の汚染水問題が
東京招致に大きく立ちはだかった。
記者会見でも質問が相次ぎ、
招致メンバーは「問題ない」と繰り返したが、
「問題ないかどうかは
事実関係を聞いて自分たちが判断する」などと
海外メディアを中心にいら立ちが高まっていた。

安全・安心を第一に訴えていながらの大きな矛盾。
最終プレゼンターのなかで最後に現地に乗り込んだ
安倍総理は、それまでの猪瀬東京都知事らよりも、
さらに踏み込んだコメントで懸念を一蹴しようとした。

「状況はコントロールされている」
「港湾内で完全にブロックされている」
「政府が責任を持って対応する」

東京で日々ニュースを報じてきた立場からすれば、
事実関係も含めて、頭の中にクエスチョンマークが
いくつも並ぶ内容だったが、
国のリーダーがここまで大見得を切ったことには、
納得感をもって受けとめたIOC委員もいたようだ。

なにはともあれ、最終的には
東京が激戦を勝ち抜いて開催地に決まり、
ブエノスアイレスの歓喜は、
まさに「歴史的瞬間」となった。

街を自由に歩ける、
東京の、日本の「治安の良さ」や
「おもてなしの心」をかみしめつつ、
汚染水問題には世界に“公約”した通りに、
きっちりと政府が責任を持って取り組むのを
厳しい目で見守りたい。
地球の裏側から発せられたあの言葉は
「福島への約束」としても私たちは受け止めた。

肩の凝るような話が多くなったが、
「東京決定」のその瞬間はやはり嬉しかった。
久しぶりにみんなで興奮した。

「IOC委員」「ロビー活動」など聞きなれない言葉にとまどい、
“インナーサークル感”の強い、
組織の壁の高さを肌で実感させられ、
取材は思った以上に苦戦した。
東京の関係者からも招致活動の難しさを幾度となく耳にしたが、
前回の落選を教訓に、
東京はその特徴やしきたりを徹底的に調べ上げ、
そのルールのなかで、見事に高い壁を乗り越えた。


周りを確認して、パチリ!


2020年ということで、パチリ!

取材を終えて、帰国の途についたいま、
大禍なく出国できたことにホッとしつつ、
店やレストランなどで接したブエノスアイレスの人たちの
おおらかさや明るさを思い出し、心がじんわりと温かくなる。
彼らはみんな根っから親切で、日本のことに興味津々だった。

そして、2020年に向けての「アフター・ブエノスアイレス」が、
すでに東京でうごめき始めているのを想像しながら、
にやにやしている。

(ブエノスアイレスからの機中より)


アルゼンチンといえば肉。うまい!

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