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- 「ニュースで気になる言葉〜としています〜」-
  Reported by 田原浩史
田原  

坪井君、ニュース原稿の中で気になる言葉があるんだけど、調査してもらえないかな。

坪井   はい、何でしょうか
田原  

「〜としています」っていう表現なんだ。
例えば「政府関係者は、この件に関しては引き続き協議していくとしています」という使われ方をするけど、としていますのところに何か言葉が入って、しかるべきだと思うんだ。
「と説明しています」とか、「と強調しています」など、場合によっては「と釈明しています」ともなるし「と反論しています」となることもあるはずだよね。
そこに取材記者の判断なり、見識に基づく断定が入ってもいいと思うんだ。ここはとても肝心な部分だから、がぼかされては、真意が伝わりにくいと思うんだ。場合によっては、あえて中立性を示す為に使っていることもあると思うけどね。
そこで、どのように使われているか、この言葉の使い方を調査してくれるかな。

坪井   了解しました。
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坪井  

ここ一ヶ月間のニュース原稿をチェックしてみると、代表的なものは、これだけありました。政治のニュースに関して多く見られました。

「自民党の拉致対策本部が北朝鮮への最後通告を決議しました。誠意ある対応をしなければ、経済制裁を発動すべきだとしています

「テロの未然防止に関する行動計画がまとまりました。この中では日本に乗り入れる飛行機や船に対しても乗客名簿をあらかじめ提出することを義務付けるとしています

   
坪井  

では実際、現場で「〜としています」という表現はどのような時に使われるのでしょうか?そして理由があるのでしょうか?
ニュースを統括するテレビ朝日武隈編集長に聞きました。

   
武隈  

この表現は見方によっては曖昧とか中立的という印象を与えますが、いくつか理由があります。
一つ目として、原稿はなるべく簡潔に、分かりやすく伝わるように書くという前提があり、そのためには、「〜と説明しています」「〜と発表しています」と一つ一つに書くと、前の文章との重複感が出て長くなってしまうからという理由。

二つ目は特に政治部が書く原稿に多いという理由には、恐らく、取材元や情報源を具体的にいえない場合が多いからだと思います。それを「発表する」とか「語る」としてしまうと特定の人物などを想定してしまうので、あえて、曖昧な表現をする場合があります。
英語でいうと「they say」や「it is said」という表現で、外国の報道でもしばしば使われますね。

三つ目には、伝えるべき内容をこちらでまとめて報道する時に「要約すると〜という内容です」の意味を込めて「〜としています」を使う時があります。発表された中身全てを伝えるには時間がかかる場合、取材した情報なども総合してニュースにするので、そんな時はこの表現が適当と言える場面もあります。

しかし、その一方で、必要がないのにその表現を「便利だから」「無難だから」という理由で使われることもあると思います。それはいけませんね。やはり最後まで言葉を選び抜いた結果が「〜としています」でなければなりませんね。そこは今後も気をつけていきます。

   
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田原  

次に、同じ報道機関として新聞報道では、どうなのでしょうか。
朝日新聞解説員・テレビ朝日コメンテーターの萩谷順さんに聞いてみました。

   
萩谷  

この表現は、政府や公共機関、組織など「人」ではないものを主語にしてコメントを書く場合に、非常に便利な表現です。
また、記者の主観を入れずに第三者的な観点で伝えることが出来るし、権威を持たせる効果も出てきて、お役所のコメントを伝えるには、適した表現だったといえます。この表現が出始めたときは、みんなが使い始めるほど、広まりました。
しかし、現在は「使い古された表現」として、敬遠されています。
特に活字では、使った証拠が「文字」として残ってしまうので、できるだけ使わないようにしているはずです。

   
田原  

伝える側は、このような理由で「〜としています」を使っているわけですが、客観的な立場から、どのような見方ができるのでしょうか。
慶応義塾大学 岩松研吉郎 教授は、次のように話しています。

     
岩松先生  

この表現については、もう十数年前に江國滋さんが『日本語八ツ当たり』(新潮社89年)の「『としている』症候群」という一文で、80年代の新聞各紙から多数の例をあげながら、「なぜ『と述べた』『と語った』ではいけないのか」「実に不自然かつ感じの悪い語法だ」と批判していました。誰が何に基づいてそういっているのか、ただそう考えているだけなのか、強く主張しているのか、何か裏付けがあっての断定なのか、を曖昧にした無責任な表現だ、という訳です。
当時は、新聞・雑誌などで、それこそ「症候群」(シンドローム)的に流行した表現だった記憶は私にはありますが、最近はそれほどでもないようです。ただし、流行語・流行表現というものは、すぐに死語・時代遅れの表現になって、すたれる場合がある一方、一部は新語・新表現として定着してゆく場合があります。

「としている」が「としています」の形で放送・テレビという音声メディアで問題になるのは、このまま定着させ常用するようになってよいのか、という疑問があるからなのでしょうね。

   
  表現の由来
 

武隈氏、萩谷氏の意見のとおり、この表現は簡略で、またいろいろな場合に使えるので便利です。曖昧で一般的な言い方になることも確かですが、そうせざるをえない報道の場合もあるのでしょう。だとすれば、濫用しないことによって、逆に「としています」という表現は、“そう表現するしかない場合なのだ”と理解される形に定着させてゆくことだ、と思います。

表現出来る限りでは、なるべく、誰が・何が いった・発表した、とはっきりさせ、「としている」は、そこが曖昧・概括的・要約的だと分からせる形で限定して使う、ということです。

言葉―単語や表現とは、そもそも相互の意味・役割の相違・分担・限定で用いられるものなのです。

  なぜ無責任に聞こえるのか
 

「無責任な表現」に聞こえる、という点については、さらに説明が必要かもしれません。
武隈氏指摘のように、英語的表現での
It is said〜、They say〜、つまり「〜といわれています」や「〜とされています」が、「〜としています」に置き換えられた、という点は、この表現の由来からして、確かにそうだろうと考えられますが
「といわれている」「とされる」→「とする」の置き換えには、実はかなり問題があるのです。

日本語の表現には「雨に降られる」「悪口をいわれる」のような具体的なもの(被害・迷惑を示すことが多い)を除いて、受身の形はあまり無かった。今でも、日常の話し言葉ではあまり使わない(「津波をおそれる」「恐ろしい津波」とはいうけれど、「津波は恐れられる」「恐れられる津波」とは、あまりいわない。)

したがって「といわれる」「とされる」は、もともと「という」「とする」の形で表現するほうが自然だという判断が無意識に働く。ことに、丁寧語の話し言葉を基本とする放送用語では、「といわれています」「とされています」は尊敬語のようにきこえるので、回避されやすいと思われる。

しかし、「という」「といっています」「ということです」に置き換えてしまうと、どうなるのか?

「とする」には、「これをベストとする」などでは、周知の根拠のあることを示す表現となる。ところが、「とする」を客観的報道で用いると、(そこでは「自分の判断が問題ではないし、自分の判断であってはならない。また、周知の根拠があるわけでもないから」)、結果として無責任な押し付けのようになることがある。

「としています」という表現が生まれてきた背景については、大体以上のように考えることが出来ると思います。

  曖昧にせず、はっきり表現してほしい
 

ところで、具体的に考えていくと、
例えば「政府は今後もこの件に関しては、協議を続けていくとしています」という場合、「本気で各方面と調整しながら、話し合いを続けていこうという積極的姿勢」なのか「言い訳程度に、しょうがないからやっていきます」といっているのか「本当は何もやるつもりは無いのに、やるつもりだと嘘をついている」のか分かりません。知りたいのは、そこのところです。

だから、田原君がいうように「〜と(主張)しているのか」「と(釈明)しているのか」「と(言い訳)している」のかをはっきりさせる必要がありますね。

「〜としています」は、はっきりしたことなのか、曖昧にしているのか、その判断を「受け手に預けてしまっている」とても無責任な言い方に聞こえてしまいます。 

しかもそれが文章ではなく、会話の中に入ってくると、余計に曖昧さが際立ってしまい、「本当はどうなんだ」という疑問さえ出て来てしまいますね。

報道機関としては、その点をもっとはっきりさせる必要があるのではないでしょうか。

田原  

つまり、そこが曖昧なままだと、報道内容自体が曖昧に聞こえて真意が伝わりにくいということですね。それでは報道機関としての責務を果たしていないということになってしまうのでしょうか。

   
岩松先生  

そういうことです。「〜と○○しています」の○の中に何を入れて伝えるかは、その取材者の知識や経験に基づく見識が表れるのではないでしょうか。さらには十分な取材に基づく断定なのか、曖昧にして逃げているのか、取材者の姿勢までもが現れると思いますよ。受け取る側はそんな風に感じます。

   
田原  

ちなみに「明鏡 国語辞典」北原保雄編 大修館書店には、「する」の項目に次のように出ていました。

「言う」「考える」「主張する」などに比べて、形式的・抽象的な言い方としてマスコミなどに好まれるが、意味が曖昧になりやすい。 
 
岩松先生のご意見は、視聴者の代表意見としても、しっかり受け止めなくてはなりません。報道では出来る限り「曖昧さ」を排除して真意が伝わるようにしなければならないと思います。

その一方で、報道機関は「情報源の秘匿」という報道倫理上の守秘義務も負っている為、表現の仕方によって情報提供者が特定され、不利益を被ることがないように、あえて曖昧な表現をとらざるを得ないことも事実です。 

表現方法ひとつで、大変な違いが生まれますね。それを肝に銘じて仕事に取り組んでいきたいと思います。

   
    
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