トップ > にほんご学習帳 トップ > 言葉の現場検証
言葉の現場検証
 
  reported by 田原浩史

ニュース原稿に、次のようなコメントがありました。
「部活動を再開した矢先の出来事でした」


原稿には

おや?この表現は間違いじゃないかな?と思い調べました。
「○○の矢先」とは、まさに今放とうとしている矢の先で、何かが起きてしまうという事ですから、
○○の部分は今やろうとしている、現在形の言葉がくるはずです。
○○という行動は、まだ起こしていないので、過去形ではないはずです。


ちょっと待てよ?

ニュースの内容は、新型インフルエンザの集団感染があり、
活動を停止していた部活を再開した直後に、
生徒が熱中症で倒れて死亡したというものです。

原稿の「矢先」の意味は、部活動を再開した直後の出来事でした…という意味なのでしょう。
しかし理屈からいえば「矢先」は過去形とは同時に使うことは出来ません。

「部活動を再開した直後の出来事でした」が正しいはずです。

辞書で調べてみます。


…なんと、びっくり!!です


広辞苑では
「事のまさに始まろうとするとき、またはその直後。とたん」
例)始まる矢先に邪魔が入る
  出かけようとした矢先に客が来た

明鏡国語辞典
「何かを始めようとする、ちょうどその時」
例)でかけようとした矢先の出来事

日本語新辞典
「事が始まろうとする、また、しようとする、ちょうどその時」
例)話がまとまろうとする矢先に、横槍がはいる
  外出しようとした矢先の電話

大辞林
「物事の始まろうとするちょうどその時」
例)外出しようとする矢先に客がくる


奇しくも例文はよく似た文章で、
過去形と現在形の使い方が辞書によって違っていたり、
両方使った例文が出ています。
ということは、必ずしも「矢先」の前の言葉は現在形でなくてはいけない、
ということではないのでしょうか。
広辞苑だけには矢先に「直後」の意味があると説明しています。



別の角度から調べてみます。
類語検索大辞典 日本語大シソーラスによると、
「矢先」の類語としては「間際」「寸前」「直前」が挙げられていていました。
あくまで、何かが起こるなのです。
「直後」や「途端」の類語に「矢先」はありませんでした。

辞書で過去形と現在形が混在しているのは、なぜでしょうか。

辞書の例文を比較してみます。


辞書を比較!

「出かけようとした矢先に客が来た」広辞苑 出かけようとした、ちょうどその時。
まだ出かけていない。
「出かけようとした矢先の出来事」明鏡国語辞典 出かけようとした、ちょうどその時。
まだ出かけていない。
「出かけようとした矢先の電話」日本語新辞典 出かけようとしたが、ちょうどその時。
まだ出かけていない。
「出かけようとする矢先に客が来る」大辞林 これから出かけようとする。
ちょうどその時。まだ出かけていない。

どの文章も同じ意味です。広辞苑以外は「出かける前」を表しています。
だから過去形も現在形も両方使えるように見えますが、そうではありません。
これは、現在形・過去形という時制の問題ではなく、
「〜しようとした」の意味に大きく関係しています。
この場合の「〜しようとした」は、
「ちょうどしようとしていたけれど、まだしていない」という意味です。
まだ行動を起こしていないのですから「矢先」と一緒に使って矛盾しないのです。
まだ行動を起こしていないという意味ならば、形の上では過去形でも、
「矢先」と一緒に使っても、矛盾しないということになります。
だから、辞書の例文には「矢先」の前に過去形と現在形の両方が出てくるのだと考えられます。

それでは、ニュース原稿の文章ではどうでしょう。

「部活を再開した矢先の出来事でした」…再開した直後
「部活を再開する矢先の出来事でした」…まだ再開していない

これだと大きな違いがあります。

ニュースの内容は、新型インフルエンザの集団感染があり、
活動を停止していた部活を再開した直後に、生徒が熱中症で倒れて死亡したというものです。
内容を吟味すると、部活をすでに再開しているため、
この場合は「矢先」をつかうのは誤りで「直後」で表現すべきだということが分かります。

(ただし、広辞苑によると矢先には「直後」の意味があるため、
  間違いではないということになります。
  このあたりが、日本語として正しいのはどちらか、悩ましいところです。
  なぜ広辞苑だけが「直後」の意味を採用しているのか、分かりません。)

アナウンサーのバイブル「放送で気になる言葉 改定新版」は、このように説明しています。


これがアナウンサーのバイブル!

〜から矢先
 「矢先」は何かがまさに始まろうとする直前、もしくはちょうどその時を表す言葉で、「出かけようとする矢先の雨」「通達を出そうとする矢先の出来事だった」のように使う。「通達を出した矢先の出来事だった」のように「直後」の意味に使うことは避けたい。この場合には「通達を出した直後の出来事でした」「通達を出したばかりだった」などと言い換えたほうがよい。
 なお、『広辞苑』は「矢先」の項目で「事の正に始まろうとするとき、またはその直後」と「直後」の用法を認めているが、国語辞典の中では少数派だ。

今回、「矢先」について考えてみました。
その言葉の本来の意味と、文脈上の意味の両面で正しく使われることで、
正確な内容が表現できることを確認しました。
なんとなく知っているつもりで言葉を使うと、大きな違いが出ることもあるのですね。
うん、気をつけなければ!


ちゃんと調べなきゃ!
トップ > にほんご学習帳 トップ > 言葉の現場検証