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Reported by 渡辺宜嗣


なぜ涙がこみ上げてくるのだろう?「戦艦大和」の悲劇に触れるたび、私はいつもその感情にとらわれる。誰もがすでに自分の運命に「死」が書き込まれていたことに思いをはせるからだろうか。愛する人を守るため、それでも出撃していかなければならなかった「覚悟」を感じ取るからだろうか。
 私は東シナ海に眠る「戦艦大和」を、この眼に焼き付けた数少ない人間の一人です。
 1999年8月。「戦艦大和海底探査プロジェクト」にリポーターとして参加した私は、二人乗りの自走式潜水艇に乗り込み、「大和」が眠る水深350bに向けて潜り始めました。海が群青から漆黒の闇へと――海底で見たものは、無残に破壊された巨大建造物でした。大きく二つに分断された「戦艦大和」。艦首から第1主砲塔付近までの3分の1は、比較的原形をとどめてはいたが、艦尾までの残り3分の2は破壊され尽くしていた。その残骸は、最期の戦闘がいかに厳しく、激しいものだったかを物語っていた。
 潜水艇が発する一条の光の中からこつぜんと現れた艦首の「菊花紋章」。言葉を失った。ただひたすら悲しかった。そして怖かった。「戦争」とはいかにむごいものかを思い知らされていた。
 目が慣れると、それまで見えなかったものが見えてきた。誰かが吹いていたラッパ。富士山の絵柄の茶わん。そして左右そろったズック靴。遺品を回収している時の感情は今も鮮明に覚えている。「戦友が眠る海底へ着いたら、私の分まで合掌して下さい」という生存者の方々の言葉に支配されていた。生存者が高齢化し、語り継ぐ方々が減っている中で、私は「戦艦大和」の悲劇を伝えられる一人にならなければ、と思った。
 今回、「男たちの大和」の本編ナレーターを担当させていただき、そうした思いを込めて語りました。「戦艦大和の悲劇を、まだ歴史に追いやってはならない」「二度と戦争をしてはならない」。愛する人と、信頼する人とぜひこの映画に触れていただきたい。

(この文章は12月13日の朝日新聞朝刊に挟み込まれた「東京都PR版」に載った記事を転載しました)

「男たちの大和」公式HP

「テレ朝シネマ館」HPはこちら
http://www.tv-asahi.co.jp/cinema/


テレビ朝日のアトリウムには実際に映画で使われた
35分の1の模型が展示してあります(12月17日まで)


私は「戦艦大和」の悲劇を伝えられる一人にならなければ、と思っています


本編のナレーションを担当しました

広島県尾道市には
撮影で使われた実物大の大和のセットが
展示・公開してあります


一般に公開されています


実物大の46センチ砲は大変な迫力です






艦橋から上はCGで再現されます
(撮影、松井アナウンサー 2005年8月)
 
 
    
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